ホーム | 説教 | 説教(2011年度) | その傷によって、あなたがたは癒された

その傷によって、あなたがたは癒された

説教要旨( 7月10日 朝礼拝)
イザヤ書 第53章1-12節
ペトロの手紙一 第2章18-25節
上田容功

 家庭訓と呼ばれているこの段落では、主人の気まぐれに振り回されていた召し使いたちに対して、不当な苦しみをも耐え忍びなさい、と呼びかけられています。ここで問題にされているのは、善を行っているにもかかわらず受けなければならない不当な苦しみを耐えることです。不当な苦しみを受けている召し使いたちにだけでなく、ローマ帝国で迫害に苦しんでいるすべての信仰者にも、苦しみを耐え忍ぶことは神の御心に適うことである、と励ますのです。
 なぜ、これほど熱心に、不当な苦しみを耐え忍ぶことを勧めるのでしょうか。その理由が21節に記されています。「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」。ここに、不当な苦しみを耐え忍ぶことのために召された、と語られています。甘受している不当な苦しみをきっかけにして、キリストの御苦しみに思いを向けなさい、御苦しみを模範としなさい、と呼びかけるのです。「模範」とは、幼い子供たちが点線をなぞって、文字を練習するお手本のことです。点線をなぞっているときの何とも言えない安心感。子供たちは、鉛筆の先が点線からはみ出ないようにゆっくりと丁寧に文字をなぞります。同じように、神の子とされた私たちは、主が残してくださった点線をなぞっているから大丈夫、という安心感に包まれて、主のお受けになられた苦しみを丁寧になぞるようにして歩むのです。
 キリストが不当な苦しみをお受けになられたことを語るとき、ペトロの手紙は、イザヤ書第53章に預言されている「苦難の僕」の姿を通して語ります。初代教会の人たちは、「苦難の僕」を通して、主のご受難と十字架での死の意味を理解しました。「苦難の僕」が人々の罪を負って身代わりの死を遂げた、という預言者の言葉の中に、自分たちの罪を負って十字架にかかり苦しまれたキリストの姿を見出したのです。何の悪いところもない主が不当な苦しみをお受けになられ、人の罪を負って十字架でご自身の命を捧げられたことによって、私たちは罪赦されました。このような救いの体験を、ペトロの手紙は、「そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒されました」(24節)と語ります。私たちは人には言えない悩みや弱さを抱えています。私たちの苦しみの根底にあるものは、神との関係の破れではないかと思うのです。「あなたがたは羊のようにさまよっていました」(25節)。命の源である神から離れ、さまよっていた私たちの魂が負っている深い傷を、主は、ご自身の傷によって癒してくださいました。十字架でお受けになられた傷によって、癒してくださったのです。
 キリスト者は、不当な苦しみを耐え忍ぶ中で、不当な苦しみをお受けになられたキリストと一つに結ばれている自分を見出します。苦難の中で主に出会います。私たちは、キリストの死に与る洗礼を通して、キリストのものとされ、キリストに結び合わされています。私たちをキリストの死に与らせる洗礼は、私たちを復活の主にも結び合わせます。罪や死は最後の言葉ではありません。主は、十字架から復活への勝利の道を歩まれました。苦難のキリストが残された足跡は、苦難から栄光へ、という天の国の栄光に至る道です。
 キリストは命懸けで羊の命を守る魂の牧者、監督者です。私たちの魂の牧者であるキリストは、さまよっていた私たちを青草の原に導き、憩いの水のほとりで傷ついた魂を癒してくださいます。そして、キリストが私たちを導いてくださるところは主の家です。主の御跡に続くキリスト者の信仰の歩みは天の国へと向かう旅路です。主は足跡を残してくださいました。それは、苦難の中でこそ見えてくる足跡です。
 

説教一覧(2011年度)

2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定