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命のパンのしるし

説教要旨( 10月 2日 朝礼拝)
エゼキエル書 第34章 1~10節
ヨハネによる福音書 第6章 1~15節
倉橋康夫

 主イエスは、それまで活動しておられたカファルナウムを去り、別の所・<向こう岸>に移動されます。主イエスは、弟子たちと共に、静かな時を過ごしたいと思われたのでしょう。ところが、群衆も、主イエスたちの後を追って、陸づたいに追いかけます。群衆たちの関心は、病人を癒す主イエスの奇跡的な力に対するものでした。
 ところで、過越祭(過越の祭)について、ヨハネ福音書は度々触れています(2 : 13、6 : 4、11 : 55、12 : 1、13 : 1)。ここで、<ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。>、とあります。主イエスと過越祭との関係を指し示そうとの意図があるのです。つまり、過越の小羊としての、主イエスの十字架の死を示唆しているのです。
 ところで、主イエスは大勢の群衆がご自分を目がけて押し寄せて来るのをご覧になります。マルコ福音書では、大勢の群衆について、主イエスが、<飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ>、と記しています。併せて読んだ旧約聖書は、エゼキエル書 第34章です。そこでは、牧者たちが群れを養わず、寧ろ略奪している状態にあることが語られます。そして、主なる神は、それを深く嘆き、<わたしが彼らの口から群れを救い出>す、と決意が宣言されます。この主なる神の決意に基づいて、主イエス・キリストがこの世に遣わされた、と言うことができます。
 主イエスは、<「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」>、と言われます。主イエスの問いかけに対して、フィリポだけでなく、<シモン・ペトロの兄弟アンデレ>も返答しています。主イエスの質問の中心は、「どこで・どこから」という点にあります。ところが、フィリポもアンデレも、この世の常識による判断を述べるだけでした。200デナリオンのパンでも足りないでしょう、子どもがパン5つと魚2匹を持っているが、それだけでは何の役にも立たないでしょう、と。
 しかし、主イエスが尋ねられたのは、大勢の群衆にパンを調達する方法についてではなく、「どこで・どこから」パンを得たら良いか、ということです。これは、「人は一体、どのようなパンによって生きるか」という問いに繋がる問いなのです。ここに、過越の小羊なる主イエスがおられます。人間を救うために、ご自身を犠牲にしようとする主イエスがおられます。その主イエスが、「人は一体どこで与えられるパンを食して生きるのか」、と問われるのです。
 そこに、大麦のパン5つと魚2匹を持っている、1人の子どもがいました。主イエスは、その貧しいパンと魚とをお用いになります。群衆を草の上に座らせ、主イエスは、パンと魚を取って、感謝の祈りを捧げてから、人々に分け与えられました。主イエスが、<欲しいだけ分け与えられ>、<人々が満腹した>、とだけ記しています。主イエスが分け与えるパンと魚、そして特に、パンの残りがあり余る程であった、と。
 そこには、過越の小羊としての、主イエスの恵みの豊かさが示されています。主イエスが過越の小羊である限りにおいて、私たちに与えられる恵みです。主イエスの十字架によって与えられる救いの恵みです。私たちは、主イエスの分け与えられたパンが何を意味するしるしなのか、を見誤らないようにしたいものです。
 正に、「命のパン」としてご自身をお与え下さった、主イエスの十字架の出来事を思い起こさなければなりません。私たちは、<どこに>、どこから命のパンを求めるのか。それは、過越の小羊として、十字架につけられた主イエス・キリストの出来事から、与えられるのです。そこに私たちの目を向けさせ、真の命を与えるそこに向かわせる、「命のパンのしるし」が。このパンの奇跡なのです。主イエスによって、真の命に結ばれた幸いを感謝しましょう。
 

説教一覧(2011年度)

2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
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2011.06.19
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2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
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2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
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2011.08.21
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2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定