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時を支配し給う神

説教要旨(1月15日 朝礼拝)
申命記 第16編13 ~ 17節/
ヨハネによる福音書 第7章1 ~ 9節
倉橋康夫

 主イエスは、今は12弟子を核として、少数の者たちと、ガリラヤに留まってにおられます。自分たちの望むものを与えてくれるのでなければ、留まる必要はないとばかりに、多くの者が続々と離れ去って行ったからです。
 そんな中で、<ユダヤ人の仮庵祭>が近づいてきました。ユダヤ教の3大祭りの1つ、収穫を感謝する秋祭りで、9月末から10月初めにかけて、1週間続けられるお祭りです。併せて読んだ旧約聖書は、申命記 第16章です。そこには、大いに喜び祝うように、主なる神がそのすべてを祝福される、と記されています。
 主イエスの<兄弟たち>、つまり、弟たちが、主イエスに進言します。<3 イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。>、と。弟たちは、この時こそ、兄イエスの巻き返しの絶好のチャンスであり、絶好の舞台である、と考えたのです。<あなたのしている業」とは、病人の癒しとか、パンの奇跡のような業のことでしょう。晴れ舞台で、弟子たちに改めて自分の力を見せ付けることと、新しく弟子を募ることとが意図されている、と考えられます。
 ところが、このような弟たちの忠告は、全く主イエスを理解していない、主イエスをメシアとして、正しく受け止めていないことを暴露してしまっています。特別な力を誇示することによってメシアの座に着こうとする、力によってメシアとして君臨しようとする、そのようなメシア像を描いているからです。それを、聖書は、<5 兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。>、と記します。
 当然、主イエスは、そのような、弟たちの求めを拒否されます。そして、<わたしの時はまだ来ていない>(6、8節)、と言われます。その際、主イエスは、<あなたがたの時はいつも備えられている。>と言うのです。つまり、ここで、<あなたがたの時>とは、弟たちに代表されるように、人間が自分の目的を達成するために利用する時のことです。私たち人間の多くは、「自分の時」を獲得しようとして、血眼になります。自分の目的達成のための好機を得たいのです。主イエスは、これと鋭く対立する「わたしの時」、について話されます。弟たちが、今こそその時だ、と判断するのに対して、<わたしの時はまだ来ていない>、と真っ向から対立するのです。
 このように、主イエスの「時」についての判断が、弟たちと真っ向から対立するのは、その判断基準が全く別のところにあるからです。主イエスの姿勢は、第6章38節のお言葉の通り一貫したものです。<わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。>、と。つまり、主イエスが、<わたしの時>と言われる場合は、ご自分を遣わされた方のみ心に沿う時、「神の時」を意味しています。これは、主イエスがメシアとしてのみ業を為す時、つまり、十字架の時を指しているのです。
 弟たちも、兄イエスをメシアとして登場させる「時」を思っていました。双方共に、メシアとしての業を為す時を考えながら、メシアの理解が違っていたのです。神の時を無視して、人間が自分の時を追いかけたとしても、それはただ、空回りをするに過ぎません。神は、人間の理解とは全く違った形で、神の定め給う時に、メシアを出現させられます。それが、十字架にかけられたキリストなのです。人間が、神のご支配の下に生かされていることを忘れる時、様々に操作をして、「自分の時」を獲得しようとします。しかし、神の定め給う時こそが、最終的に実現することを、主の十字架が示しているのです。
 

説教一覧(2011年度)

2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定