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今週の説教

アンバランスな恵み

説教要旨(8月11日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 5:12-17
牧師 藤盛勇紀

 「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになる」。一方に「一人」の人、最初の人間アダムがあり、もう一方に別の「一人」イエスがおられる。キリストの恵みから人間を見るならば、人間は二重に見えてきます。一つは、アダムに連なる全ての人間。神の命から離れ、死と滅びに決定づけられている罪人。もう一つは、キリストに結ばれて神の命に生かされる者の2系統です。
 アダムに連なる全ての人は死に定められています。3章に「正しい者はいない。一人もいない」と詩編の言葉が引用されていますが、これを事実と認めることは恐ろしいことです。
 ソ連の最初で最後の大統領となりノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフさんに、日本の学生が質問しました。「ベルリンの壁は崩壊したのは、一言でいうとなぜですか」。人間を解放するはずだった共産主義はなぜ崩壊したのかという問いです。ゴルバチョフさんは「人間の腐敗」だと答えました。
 史上最高のドラマとも言われる「ザ・ホワイトハウス」(原題はThe West Wing)は、アメリカの大統領とその側近たちを中心に政治の裏舞台を描いています。ある回では、一つの物語が進行する背後で、ある死刑囚の特赦をどうするかという問題が起こっていました。大統領は決断のきっかけを見いだせないまま時間切れとなり、死刑が執行されます。最後のシーンが印象的でした。大統領執務室に司教が招かれ、大統領は跪いて「私は罪を犯しました」と告白して終わるのです。解決も救いも無い終わりです。
 キリストの恵みを知った者は、「正しい者はいない。ただの一人もいない」、自分自身も救いようのない者なのだと分かります。ただ、それにもかかわらず、自分は神の前に義人として立つことができる、とも知るのです。宗教改革者ルターは、「義人にして同時に罪人」と言いました。
 聖書は言います、「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだ」と。罪は「入った」もの。だから罪と死が全ての人を支配しているとしても、それは人間の宿命ではない。死は「罪による死」。人間の最大の問題は死ではなく罪なのです。
 聖書は「一人の人イエス・キリスト」を指し示します。一人の人アダムの罪は、全ての人間に言い逃れできない事実を突きつけます。私たちは皆アダム。けれども、恵みの賜物は罪とは比較にならない。アダムによって全ての人が死に定められたなら、「なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです」。
 ルターの言った「義人にして同時に罪人」とは、私たちは一方でアダムであり、一方でキリストにあって、どっち付かずの危ういバランスの中に生きているということではありません。キリストと結ばれたなら、バランスは崩されている。「比較にならない」、「なおさら」なのです。アダムに連なる死ぬべき命を遙かに超える神の恵みによる命があります。一人のイエス・キリスト、この方が私たちを贖い取って、神の命に生きる者としてくださいました。
 キリストに結ばれた人は、キリストにある自分が、新しい自分・本当の自分です。アダムに属する古い自分は、キリストと共に十字架につけられたので、古い自分は捨てればよいのです。キリストによって私たちは新しい命を得、新しい私となった。この新しい命が、古い自分の生き方が染みついたこの体(頭、考え方、生き方)をも組み替えてくれます(→8:11)。もう、バランスは崩されました。私たちはアダムに属して死に支配されるのでなく、キリストに結ばれて、恵みの支配に生きるのです。