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愛されている確信

説教要旨(2月2日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 8:37-39
牧師 藤盛勇紀

 パウロは、宣言し歌うように語ります。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、…他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです!」。
 信仰は「確信」です。あやふやで曖昧なものによって生きることはできませんから。でも、信仰があってもなぜか、「確信がほしい」「私は信仰の弱い者だから」と思ってしまう。あなたに確信がないとすれば、それはあなたが弱いからではなく、強すぎるのです。自分を手放せず、自分の知恵や力や可能性、あるいは他者や周りにあるものにしがみついて離さない。
 「確信」は自分で獲得するものでも、自分で発揮するものでもありません。むしろ、自分を手放した者の、ゆったりとした平安、そこにある確かさです。「私は確信している」という言葉は受け身です。主が私に、親しく懇ろに、あるいは熱く語っておられ、私は説き付けられている。この方に、「ああ主よ、そうです」と応えていることです。
 1:17に、「初めからから終わりまで信仰を通して実現されるのです」ありました。これはかなり意訳で、じつは単純に「信仰から信仰へ」です。新しい訳は「真実から信仰へ」となりました。まず、神の信実があり、それに触れられて、信仰など無い私たちに信仰が生まれる。まさに「真実から信仰」です。
 イエスの霊において、神ご自身が私たちに近づき、語り、触れて下さった。しかも頑なな私たちの前に、ご自身を無にして、真実をもって、語り続けておられる。この《神の信実》に気づいて、ほだされ、説き付けられているのが確信です。生ける神への生きた応答であり、喜びと感謝と平安の表現なのです。私たちはその神の民として、神はどういうお方であって、何をしてくださったのかを共同体としても言い表します。
 パウロの「確信」も自分の内から出てきたものではありません。では、どこから来たのか? 15節で「アッバ、父よ」と呼んだ、この父からです。私たちは「父よ」と呼ぶ「子供」。しかし、だだの子ではなく「放蕩息子」(ルカ15章)。あの息子は自分勝手な思いをもって、父のもとを離れます。やがて全財産を使い果たし、惨めさを思い知り、こういう思いを一人で抱きます。「父の家へ帰って、罪を犯しましたと告白して、『もう息子と呼ばれる資格はありません』と言おう。今さら息子とは言えない。雇い人の一人にでもしてもらおう」。
 彼は帰って行きます。「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。このたとえ話の主役は放蕩息子ではありません。罪を告白したので赦された、などという話でもありません。これは、あなたの父はどんな方なのかを語っている、「父のたとえ話」なのです。
 この父によって抱かれた子の驚きと喜び、この父を誇る子の思いを、パウロは語るのです。「死も、命も、…どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない!」。
 神の子とする霊によって魂が砕かれたのです。パウロは強くなったのではなく、弱くなった。しかし神は、こんな憐れな救いようのない私に走って来ておられた。
 神は、うつむいてとぼとぼと歩く私たちに、「走り寄って来た神」です。パウロは御子イエスに結ばれて、父の真実を知ったのです。「もう、子と呼ばれる資格はない」との思いも言葉も、父の愛の中に消えていく。恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊をいただいて「アッバ、父よ」と呼ぶからです。私は確信しています、もうどんなものも、この父の愛から私たちを引き離すことはできないのです!

説教一覧(2019年度)

2019.4.7
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2019.4.14
正しい者は一人もいない
2019.4.21
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2019.5.5
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信仰によって現実を生きる
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2019.6.2
父祖アブラハム
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2019.6.23
主にある救い
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2019.8.25
第二のスタート
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土の器なれど
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時が迫っているから
2019.10.20
絶望から生まれた信頼
2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
私たちは神の子
2019.11.24
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2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
祈れない時にも
2019.12.15
万事が益となる
2019.12.22
人となった神
2019.12.29
神の主権と深い愛
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2020.2.2
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2020.2.9
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2020.3.1
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2020.3.8
イエスを主とする仲間
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神の怒りと憐み
2020.3.22
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2020.3.29
救いは向こうから来る