手をとって起こしてくださる主
説教要旨(4月15日 朝礼拝)
イザヤ書 第41章8~14節
マルコによる福音書 第 1章29-34節
佐藤智子
イエスさまは会堂を出て、シモンとアンデレの家に向かわれました。ヤコブとヨハネも一緒でした。
シモンとアンデレの家には、シモンの姑がいました。シモンの姑は、熱を出して床に伏していました。姑について告げられたイエスさまは、熱を出して床に伏した状態のこの姑のもとに歩み寄られ、彼女の手をとって、引き起こされました。すると、熱は去り、彼女は一同をもてなし始めました。「熱」は、ここで擬人化されています。彼女を、床に伏させた状態にさせていた「熱」。「熱」が、人間に取りつき、病を起こさせ、床に伏させた状態に留め置き。日常生活を奪い、彼女の思いをも、縛りつけていたのです。
この姑の許にイエスさまが来られました。イエスさまは、歩み寄ってくださり、御手を差し伸べ、手をとって起こしてくださったのです。じっと耐え忍んでいた者の、痛みや苦しみや嘆きに、イエスさまが歩み寄ってくださり、そこから手をとって起こしてくださったのです。<熱は去り、彼女は一同をもてなした>熱は去っていき、彼女は給仕を始めます。自分を、癒してくださった方を知り、心をこめて、仕え始めるのです。
夕方になり安息日が終わると、町中の人々が、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスさまのもとに連れて来ました。イエスさまは、このいろいろな病気にかかっている大勢の人たちを癒され、また多くの悪霊を追い出されました。いろいろな病気にかかっている一人ひとりを、イエスさまは御存知でおられました。何かに、体と心が支配され、身動きがとれず、苦しみと絶望の中に留め置かれていたすべての人を、イエスさまが癒されたのです。
また、イエスさまは多くの悪霊を追い出され、悪霊にものを言うことをお許しになりませんでした。イエスさまは、イエスさまの正体を知って支配しようとする悪霊を黙らせて、反抗する力を奪い、追い出されたのでした。
このようにしてイエスさまは、会堂で、またシモンとアンデレの家で、いろいろな「病」にかかっている人、悪霊に取りつかれている人、すべての人を癒されました。
私たちの間にも、シモンのしゅうとめがかかっていた「熱病」という「病」のように、私たちの心と体を支配して、身動きをとれなくさせ、寝床に漂わせる「病」があります。神さまの御心を求めることをやめて、自己中心的に生きようとする「病」が私たちの間にもあります。
しかしイエスさまは、この私たちにも歩み寄ってくださる。熱に浮かされ、寝床に漂い、身動きがとれなくなっている私たちのところに、イエスさまの方から、歩み寄ってくださるのです。そして、手をとって起こしてくださるのです。
私たちの手をとってくださる、イエスさまの御手には、傷跡があります。私たちのためにお架かりくださった十字架において、受けてくださった傷です。その傷跡から、私たちは知らされるのです。イエスさまが私たちの「病」を知り、痛みを担って、十字架にお架かりくださったことを。私たちのために、ご自身を最も低くされ、ささげつくしてくださった救い主のお姿を、私たちは知らされるのです。この方が、私たちの手をとって起こしてくださり、私たちをもう一度神さまのもとへ、本来生きるべき道へと、連れ戻してくださいます。私たちを癒し、今も後も変わらずに、救いの御業のうちに生かし続けてくださる主が、あの救いの右の手で、私たちの罪にまみれた手をとって起こしてくださいます。私たちは、感謝をもって、この方の手をしっかり握り、そして、この方のために心をこめてお仕えしようではありませんか。
説教一覧(2012年度)
2012.04.01
権威ある新しい教え
2012.04.08
ガリラヤへ
2012.04.15
手をとって起こしてくださる主
2012.04.22
神の力強い御手の下で
2012.04.29朝礼拝
祈り働かれる主
2012.04.29夕礼拝
我らの罪をも赦したまえ
2012.05.13
御心ならば
2012.05.20
主の平和
2012.05.27朝礼拝
あの時のように、今も
2012.06.10朝礼拝
天の国の鍵
2012.06.10夕礼拝
わたしを形づくるもの
2012.06.17朝礼拝
救いは、主こそにある
2012.06.17夕礼拝
天に富を積む
2012.07.08
感謝
2012.07.15
罪を赦す権威
2012.07.22
十字架の言葉
2012.07.29
罪人を招くために
2012.08.12
キリストの思いを抱いて
2012.08.19
収穫感謝
2012.08.26
なぜ怖がるのか
2012.09.02
聖霊のうめきによる偉大な助け
2012.09.09
闇の民に愛の光