メッセージ(2017年度)
2018年を迎えました。2018とは西暦の数え方ですが、これはキリストの誕生を紀元としています。紀元前をB.C.と表記するのは"Before Christ"の略ですが、紀元後はA.D.、これは英語ではなくラテン語の"Anno Domini"で、「主の年(に)」という意味です。
救い主イエス・キリストは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と約束されました。主キリストを信じる者は、どんな時代の、どんな時や場所でも、主が共にいてくださる希望ある人生を歩みます。
主の御年2018年も、皆様の上に主の豊かな祝福がありますように。
(2018/1/1)
クリスマスの時期を迎えました。クリスマスは神様の御子イエス様のご降誕を記念する、喜びの時です。イエス様は、神様から離れて、自分が生きるべき方向を見失っていた私たちの只中に、まことの光として来てくださいました。もし今、人生の暗闇の中をさまよっている方がおられたら、ぜひ一度、教会を訪ねてみてください。そこにはきっと、あなたの命を照らす、まことの光があるはずです。
富士見町教会のクリスマス礼拝をご案内いたします。クリスマス・イヴの礼拝は、大礼拝堂での音楽礼拝となります。礼拝後には教会前広場でキャロリングを行います。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
(マタイによる福音書 1章 23節)
(2017/12/1)
梅雨が明け、夏本番の季節になりました。夏休みに入った子供たちの賑やかな声、眩しい太陽、活気にあふれた楽しい季節です。
そして同時に、この時季は平和について考える時でもあります。今、私たちは平和でしょうか。確かに、私たちは戦闘のさなかにいるわけではありません。けれども、戦争が起きていなければ平和かといえば、決してそうではありません。私たちの心の中には不安があります。憎しみがあります。苛立ちがあります。誰かの言葉によって傷ついた痛みが、今も疼いています。このような思いが心の中に渦巻いている限り、私たちは平和だとは言えません。
イエス様はそんな私たちの只中に来てくださいました。私たちにまことの平和を与えるためにです。
「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。」
(テサロニケの信徒への手紙二 第3章16節)
(2017/8/1)
日々暑さが増し、夏が近づきつつあります。草花も動物もみな命輝かせる季節ですが、私たち人間は今日の生活に疲れてしまうこともしばしばです。そんなときは、ぜひ教会においでください。神の恵みに満たされて、また歩み出すことが出来るはずです。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
(マタイによる福音書11章28節)
(2017/6/1)
イースター、おめでとうございます。
十字架につけられて死んだイエス・キリストは、3日目に復活されました。
この出来事を、「荒唐無稽なたわ言」と受け止めるのも当然ですが、キリスト者は「死はすでに破られた、新しい命が与えられた」と喜んで生きます。「喜び、喜べ」と言える人生のスタートがここにあります。
(2017/4/1)