メッセージ(2018年度)
「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」
(テサロニケの信徒への手紙一 5:10)
私たちは時に、あらゆる希望がついえたかのような経験をすることがあります。
どう考えても、この先に開かれる道はない・・・
そんなとき、私たちは自分がいっさいのものから捨てられたような気さえしてしまいます。
しかし、そうではありません。
たとえあらゆる人があなたを見捨てて去ってしまっても、イエス様はあなたと共におられます。
そのためにイエス様は、あらゆる人から捨てられ、父なる神様からも捨てられて、暗黒の死を死んでくださったのです。
私たちがいただいている命は、この死から復活されたイエス様の命です。
イエス様が十字架で死なれたのは、私たちがどんなときもイエス様と共に生きるようになるためなのです。
(2019/3/5)
主の2019年、皆様の上に豊かな祝福がありますように。
「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(エフェソ1:3)。
神の祝福は、すでに満ちています。その天の祝福が、今年もそれぞれの地上の歩みの上にあふれ出ますように。
(2019/1/1)
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネ福音書1:5)。
人生の暗闇の中を歩まされるような経験がなくても、この世は闇ではないかと思わされることはあります。しかし聖書は言います、「光は暗闇の中で輝いている」。暗闇としか思えないその場所に、すでにまことの光は輝いているのだ、というのです。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(1:9)。
光の方を向かなければ、光そのものは見えません。まことの光が世に来られたことを、一人でも多くの方々が知るクリスマスとなりますように。
(2018/12/1)
「皆さん、元気を出しなさい。・・・わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(使徒言行録27:25-26)
ローマに向かって船出したパウロたちは、海の上でひどい暴風に見舞われました。激しい暴風は何日も何日も続き、ついに助かる望みは全く消えようとしていました。人々は絶望し、もう長い間、食事を取る気力さえ持てない状態が続いていました。しかし、そんな人たちに向かってパウロは言います。「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。」
人間の目には、ついに助かる望みが全く消えてしまったように見えても、神を信じる者にはなお希望があります。どこかは分からないけれども、どこかの島に必ず打ち上げられるはずだ、という希望です。終わりの日の勝利はすでに約束されています。だから私たちは、どんなときにも元気が出せるのです。
(2018/9/2)
緑萌え出でる季節、キリスト教ではペンテコステ(聖霊降臨)の季節です。
2千年前、主イエスは弟子たちに約束されました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、……地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。
十字架につけられたイエスは生きておられる。その証言が、主イエスの約束どおり「地の果て」のこの日本にも伝えられ、今もなお主は霊において働きつづけておられます。
(2018/5/21)
今年は年度最後の週が、イエス・キリストの十字架の死を想起する「受難週」となりました。新年度はキリストの復活を記念する「イースター」から始まります。
死を打ち破ったキリストの復活は、いわば「死」そのものの死であり、「すべての終わり」は終わったことを告げています。「何もかもお終い」は、もうないのです。
復活の信仰は、私たちをどこからでも立ち上がらせます。
(2018/3/26)