神を誇る
説教要旨(8月4日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 5:6-11
牧師 藤盛勇紀
大怪我から奇跡的なカムバックを果たし「努力の天才」と言われた元ジャイアンツの四番バッター小久保裕紀選手は、「あなたにとって『生きる』とは何か」と問われて、こう答えました。「朝起きると、『ああ今日も一日が始まるな』と思って充実してくる。『生きている』というより、『生かされている』という思いです」。これを聞いた時、私はちょっと意外な感じがしました。プロ野球界で頂点を争うトップ・アスリートにしては弱いのではないかと。
しかし同時に、「生かされている」という言い方は、何だかクリスチャンのようだとも思いました。「自分の内の何か」によって生きるのでなく、「自力で掴む何か」でもなく、「下から積み上げていく」ということでもなく、「上から」与えられるというセンスです。
しかし、たいていの人は確かなものを「下」に求めます。大地のように確かなものに足を下ろして生きることに、安心・平安を見出そうとします。しかしそれは、かえって危ういことなのではないでしょうか。足下の大地に確かさがあるでしょうか。
私たちは何を頼りとし、何を望みとし、何をもって胸を張って生きられるのか。それは、《あなたは本当に何を「誇りとして」生きているか》ということでもあります。
ローマの信徒の手紙の5章はこういう言葉で始まりました。「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」。
そして、パウロは、私たちは神の愛と神の破格の恵みの内に置かれていることを、語ります。私たちが罪人であった時、神に対して敵対する者、悪しき者、無価値な者、いてはならない者だった時、そんな私たちのために、神の御子は命を注ぎ出してしまわれたのだと。
そこで与えられた《新しい命》を発見しているのです。この世からのものではなく、上から、溢れてくる恵みと命の発見です。そこに神との和らぎがあり真の命と平安がある。決して失われることのない、何よりも確かなものが、この私に注がれている。
だからそこに希望があり、それは誇りでもあるのです。《誰が何と言おうと、この恵みを受けている私》《この私を豊かにしてくださるお方が、生きておられる》《この恵みから、このお方から、誰が私を引き離すことができようか! どうだ!》と、誇らしく生きられる(→8:37-39)。
「それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです」とあります。神に愛され恵まれている自分を知った人間は、神との和解の中に、平安の中に、誇りを持って生きます。神と和らいでいるなら、自分を受け入れ肯定して、胸を張って、喜んで生きられるのです。
小久保さんの、「生きているというより、生かされている」というセンスも、やはり強さなのです。ただ、それは漠然とした上からのものを信頼したい、上をまさぐるような、求道者的なセンスでしょう。
私たちは、「わたしたちの主イエス・キリストによって」、神を誇りとしています。この方に結ばれるなら、上から注がれる愛がどれほど豊かなのか分かってきます。いわば、上が見えてくる。「上」とはどこなのかが分かる。その上(天)からのものこそが、下にあるこの世の地上の命を支え、意味を与え、充実させます。上なるお方がハッキリすると、下なるものが確かになり、移りゆくこの世にあっても平安があります。神との和らぎに生きる者は、「神を誇りとする」。ここに、確かな命の充実があります。
説教一覧(2019年度)
2019.4.7
神の愛の怒り
2019.4.14
正しい者は一人もいない
2019.4.21
私があなたと共に行く
2019.4.28
起きて神を呼べ
2019.5.5
行いによらず、恵みによって
2019.5.12
信仰によって現実を生きる
2019.5.19
イエスの血による贖い
2019.5.26
価を払わずに得よ
2019.6.2
父祖アブラハム
2019.6.9
聖霊の力を受けて
2019.6.16
神さまから与えられた家族
2019.6.23
主にある救い
2019.6.30
望み得ないときの望み
2019.7.7
希望は生まれる
2019.7.14
賛美の湧き出る泉
2019.7.21
神との和解
2019.7.28
罪人を愛する神
2019.8.4
神を誇る
2019.8.11
アンバランスな恵み
2019.8.18
恵みは満ちあふれる
2019.8.25
第二のスタート
2019.9.1
死から生きる
2019.9.8
上を見て生きる
2019.9.15
神から派遣されて
2019.9.22
賜物としての命
2019.9.29
きっぱりと捨てよう
2019.10.6
まず砕かれてこそ
2019.10.13 朝礼拝
土の器なれど
2019.10.13 夕礼拝
時が迫っているから
2019.10.20
絶望から生まれた信頼
2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
私たちは神の子
2019.11.24
神の子とされて
2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
祈れない時にも
2019.12.15
万事が益となる
2019.12.22
人となった神
2019.12.29
神の主権と深い愛
2020.1.5
神が味方ならば
2020.1.12
宿命をも破る主
2020.1.19
決して離さぬ愛
2020.1.26
神の友になりなさい
2020.2.2
愛されている確信
2020.2.9
主にあって
2020.2.16
同胞のための冒険
2020.2.23
血よりも濃く
2020.3.1
神の不思議な選び
2020.3.8
イエスを主とする仲間
2020.3.15
神の怒りと憐み
2020.3.22
生きて残された者
2020.3.29
救いは向こうから来る