イエスを主とする仲間
説教要旨(3月8日 朝礼拝より)
ヤコブの手紙 4:11-12
牧師 新佐依子
早いもので、私がこの富士見町教会の朝礼拝で説教をさせていただくのは、これが最後ということになりました。この三年間を振り返って思い浮かぶのは、教会の皆さんお一人お一人との主にある交わりのことばかりです。「あの人とはこんなことがあったなあ」「あの人にはこんなことをしていただいたなあ」・・・等々。改めて、教会というのはやはり「人」なんだなと思わされます。
だからヤコブ書は言います。「兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません」(11節)。ヤコブ書は、教会の兄弟姉妹たちの悪口を言ったり、兄弟姉妹たちを裁いたりする者は、律法の実践者ではない、と言っています。律法の実践というのは、律法をきっちりと守るということではなく、イエス様を自分の主として生きる、ということです。イエス様は「律法を完成させるために来た」とおっしゃいました。このイエス様を主として生きることが、律法の実践なのです。
イエス様を主とすること、言い換えれば、人生の主導権をイエス様に握っていただくこと、これは容易なことではありません。例えば、人生で何かの困難があったとき、自分が人生の主であれば、自分の知恵や力を駆使して困難と戦うことになりますが、イエス様が主であるとなると、そういうわけにはいきません。イエス様が戦ってくださるのを、横でじっと見ていなくてはならないのです。しかもたいていの場合、イエス様は敵を次々になぎ倒すような戦い方はしてくださいません。むしろ、私たちが嵐の中で翻弄されていても、イエス様は眠っておられるということさえあります。それでも最後にはイエス様が勝利してくださることを信じて、イエス様に主導権を譲って自分はじっと待つ。それは、自分で何とかしようとじたばたすることより、よほど大変なことです。これを実行するためには、神様と一対一で、膝を突き合わせてじっくり語り尽くすような、そんな祈りが不可欠です。それは「神様と私」だけの祈りであって、決して他者が入り込めない孤独な祈りです。私たちは心の底から人生の主導権をイエス様に譲り渡せるようになるまで、たったひとりで徹底的に、孤独な祈りを祈り尽くさなくてはならないのです。
しかしその一方で、私たちがこの孤独な祈りを全うするためには、同じ神様の御前で、自分だけの孤独な祈りを祈っている仲間が必要です。私たちは自分ひとりで祈り尽くすには、あまりにも弱いからです。
クリスマスによく読まれる箇所として、いわゆる受胎告知の場面があります。まだ結婚してもいないのに子供が生まれると天使から告げられたマリアは、非常に混乱しました。それでも何とか「お言葉どおり、この身に成りますように」と言えたのは、天使から親類のエリサベトにも同じようなことが起こっていることを聞いたからだと思います。マリアは混乱した心を抱えたまま、エリサベトのもとへ急ぎました。
一方エリサベトは、自分の身に起こっていることについて、五か月間ひとりで神様に祈っていました。そしてようやく神様を人生の主とすることができたとき、マリアがやってきました。マリアは三か月間エリサベトのもとに滞在し、祈るエリサベトの姿に支えられながら、神様と一対一で真剣に語り尽くしました。それを経て、マリアは神様を心から賛美するに至ったのです。
マリアもエリサベトも、それぞれ自分の人生の主を神様とするために、究極に孤独な祈りを祈り尽くしました。しかしそれは、ひとりでは祈れなかった祈りです。お互いがそこにいたからこそ、二人はそれぞれに自分だけの祈りを祈り尽くせたのです。
イエス様を主として生きるために、私たちは互いの存在を必要としています。だからヤコブ書は、兄弟姉妹の悪口を言ってはならないというのです。そんなことをしていたら、あなたたちはせっかくいただいた「イエスは主なり」という恵みの告白を失ってしまいますよ、と言っているのです。
説教一覧(2019年度)
2019.4.7
神の愛の怒り
2019.4.14
正しい者は一人もいない
2019.4.21
私があなたと共に行く
2019.4.28
起きて神を呼べ
2019.5.5
行いによらず、恵みによって
2019.5.12
信仰によって現実を生きる
2019.5.19
イエスの血による贖い
2019.5.26
価を払わずに得よ
2019.6.2
父祖アブラハム
2019.6.9
聖霊の力を受けて
2019.6.16
神さまから与えられた家族
2019.6.23
主にある救い
2019.6.30
望み得ないときの望み
2019.7.7
希望は生まれる
2019.7.14
賛美の湧き出る泉
2019.7.21
神との和解
2019.7.28
罪人を愛する神
2019.8.4
神を誇る
2019.8.11
アンバランスな恵み
2019.8.18
恵みは満ちあふれる
2019.8.25
第二のスタート
2019.9.1
死から生きる
2019.9.8
上を見て生きる
2019.9.15
神から派遣されて
2019.9.22
賜物としての命
2019.9.29
きっぱりと捨てよう
2019.10.6
まず砕かれてこそ
2019.10.13 朝礼拝
土の器なれど
2019.10.13 夕礼拝
時が迫っているから
2019.10.20
絶望から生まれた信頼
2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
私たちは神の子
2019.11.24
神の子とされて
2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
祈れない時にも
2019.12.15
万事が益となる
2019.12.22
人となった神
2019.12.29
神の主権と深い愛
2020.1.5
神が味方ならば
2020.1.12
宿命をも破る主
2020.1.19
決して離さぬ愛
2020.1.26
神の友になりなさい
2020.2.2
愛されている確信
2020.2.9
主にあって
2020.2.16
同胞のための冒険
2020.2.23
血よりも濃く
2020.3.1
神の不思議な選び
2020.3.8
イエスを主とする仲間
2020.3.15
神の怒りと憐み
2020.3.22
生きて残された者
2020.3.29
救いは向こうから来る