HOME | 説教

今週の説教

凪になる

説教要旨(9月10日 朝礼拝より)
マタイによる福音書 8:23-34
伝道師 山下瑞音

 今日の聖書個所は、本来二つに分けて説教するべき個所かも知れません。今回私はこの二つの出来事を一つのまとまりとして考えることにしました。それは、この二つのお話には「恐れる」という一貫したテーマがあるからです。
 この二つの出来事に登場する人々は、みな「恐れる」という同じ反応をしています。弟子たちは嵐の中で恐怖を感じ、悪霊もまたイエス様を恐れています。さらに、出来事が進むと町の人々もイエス様のことを恐れ始めるのです。私はこの人たちの姿を見ると、人間の恐怖というものについて、よく理解出来るのではないかと思います。なぜなら、ここに登場する人たちの言動は、人間が恐怖に陥った時の典型的な反応だからです。
 その中でも特に注目したいのは、最後の一節。「すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。」という言葉です。この出て行ってもらいたいという態度、非常に失礼な態度ですが、よく考えてみると私たちもイエス様に対してこんな態度をとってしまうことがあるのではないでしょうか。
 本来、私たちはどんな時も神様にお祈りしながら生きる、それがクリスチャンとしての生き方ではないでしょうか。しかし現実はなかなかそうはいきません。私たちが恐怖心をコントロールしながら信仰生活まで完璧に送るということは、私たちには不可能なのです。
 しかし実は、たった一つのことだけ行えば、私たちは状況を一変させることが出来きます。それは神様を知るということです。神様はどんな方なのか、私たちに一体何をしてくださるのか、それが分かれば、私たちは恐怖心とうまく付き合うことが出来るようになるのです。
 弟子たちは湖の上で嵐にあったとき、これ以上ないくらいに動揺しました。死ぬかもしれないと思ったからです。しかし彼らの心配は無駄なものでした。もし弟子たちがイエス様はどんな方なのかしっかり理解していたなら、無駄に怯える必要はなかったのです。
 同じことが町の人たちにも言うことが出来ます。彼らはイエス様の不思議な力に恐怖しました。しかし、もし彼らがイエス様のことを知っていたら、きっと態度は違ったことでしょう。
 そして私たちも全く同じ状況にあるのです。私たちも同じような恐怖を感じることがあります。あの事が上手くいかなかったらどうしよう、このまま状況が変わらなかったらどうしよう、万が一最悪の事態になったらどうしよう。
 そうすると私たちは前に進むのが怖くなってしまいます。しかし、そんな時こそ、私たちは思い出すべきなのです。イエス様は一体どんな方なのかということを。
 イエス様は嵐を静め、悪霊を追い出すことが出来る方です。そして何よりも、私たちを愛し、私たちのために十字架に架かってくださった方です。
 これこそが、私たちが知るべきただ一つのことです。そしてこのことを知れば、私たちは自分自身の恐怖心をコントロールすることが出来るようになります。なぜなら、信仰とは信頼することであり、信頼こそが恐怖に打ち勝つ力となるからです。
 私たちは生きていると、まるで突然の嵐のような出来事に巻き込まれることがあります。命の危険を感じるようなことに遭遇すこともあります。しかし、私たちには神様がついていてくださる。だから、私たちは私たちと共にいてくださって、いつでも守ってくださる神様を信頼して、安心して生きてゆくことが出来るのです。