ホーム | 説教 | 説教(2020年度) | 今という時を知る

今という時を知る

説教要旨(8月30日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 13:11-14
牧師 藤盛勇紀

 「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」とあります。今はどんな時なのでしょうか。キリスト者の生き方は「終末論的」だと言われます。まず「終わりがどんな時か」を知って、「そこに向かう今」をこう生きる、ととらえる生き方です。
 それはスポーツ選手の生活に似ています。明確な目標やゴールを定め、そこから今の生活、今日のメニューまで決めます。中世の修道院には、「メメント・モリ(死を覚えよ)」という標語があったことが知られています。挨拶の言葉であり、食堂の入り口などに掲げられたりして、毎日毎朝、人生の終わりとしての《死から》今日の生き方あるいは人生の深みへと入っていくのです。
 私たちが今生きているのは、当然のことではありません。百年程前には誰一人存在せず、影も形もなかった《無》。なのに今、生きているのです。そして、皆死にます。だから「死」を考えることなしに「生」を考えることはできません。ところがほとんどの人は、普段は自分の「死」を脇に追いやっていて、危うく死にそうな目に遭ったりした時、突然目を覚まされます。死は非現実的・非日常だと思い込んでいるのです。しかし「メメント、モリ」。死は日常です。死を非日常とする生活の方が非現実的なのです。
 「終わりから今」「死から生」という方向で人生を捉えるのは良いのですが、ただ、「終わり」や「死」を自覚すれば今の「生」も受け止められるのか、というと、そう単純ではありません。世の終わりや人生の終わりとしての「死」そのものよりも、むしろ本当に大事な問題は、そこに救いや希望があるのか、ということです。死は、何の希望もない一巻の終わりなのか、それとも、救いがあり希望があるのか。
 聖書は「救いは近づいている」と言います。これが事実、真実であり現実です。「死」を避けていたら「生」が非現実的になりますが、そこに「救い」がなければ、本当に「死」を受け止めることはできません。「救い」がないのに「死」を受け止めようとすると、もう誤魔化すしかないのです。
 もし、確かな「救い」があるなら、《死を打ち破った救い》としての《命》があるなら、それがまた自分にとって真実なら、ようやく死を受け止られるでしょう。だから、本当の最後の問題は、「死」ではなく、《死から命》への救いなのです。
 「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」。《今》は、すでに「救いが到来している今」なのだと知りたいのです。あなたの終わりとしての死、滅びとしての死は、すでにキリストが引き受けてしまわれた。すでにあなたの死の処置は済んでいる。そのような「今」です。
 そのようにしてくださったキリストが《今生きておられる》。そのような今です。さらに、キリストは再び来てくださいます。それを《待って生きる今》。そのような《今》という時です。
 だから、今の私たちの人生は、方向を持つことができます。それでパウロは、具体的なキリスト者の生き方の勧めを語っているわけです。パウロは今の時について、「夜は更け、日は近づいた」と言います。「夜か更けたなら、真っ暗じゃないか」。違います。夜が更けたら、確実に「明るい昼」が来る。今が闇だとしても明るいのです。闇ではなく光。「今」という時を知った人の人生は、《闇ではなく光》、《「死」ではなく、神から来る「命」》です。
 「主イエス・キリストを身にまといなさい」とあります。「死から今」を生きる人は、キリストを着た人です。「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ている」(ガラテヤ3:27)とあります。キリストを着て、罪に対してはすでに死んだ者とされ、新しい命に生かされています。それが《今》の時です。

説教一覧(2020年度)

2020.4.5
初めであり終わりである方
2020.4.12
主の言葉を思い出せ
2020.4.19
主を知って生きる
2020.4.26
どんな時も主を仰ぎ
2020.5.3
美しい足
2020.5.10
祭司の務め
2020.5.17
キリストの言葉を聞く
2020.5.24
私も日本人ですが
2020.5.31
永遠にあなた方と共に
2020.6.7
彼らの罪が世の富に
2020.6.14
新たに生まれる
2020.6.21
野生のオリーブ
2020.6.28
秘められた計画を知る
2020.7.5
神の富と知恵も深さ
2020.7.12
新しい時代のはじまり
2020.7.20
この世に倣わず
2020.7.26
信仰の度合いに応じて
2020.8.2
縦の愛、横の愛
2020.8.9
命のパンをいただく
2020.8.16
平和へのもう一歩
2020.8.23
自由の由来
2020.8.30
今という時を知る
2020.9.6
生きるにしても死ぬにしても
2020.9.13
神の国は義と平和と喜び
2020.9.20
隣人を喜ばそう
2020.9.27
敗北から
2020.10.4
希望の源
2020.10.11 朝礼拝
わたしがここにおります
2020.10.11 夕礼拝
門は開かれた
2020.10.18
私を用いて働く主
2020.10.25
終わりを目指して
2020.11.1
旅立つ者として生きる
2020.11.8
ふさわしい実を結べ
2020.11.15
主にある挨拶
2020.11.22
平和の源である神
2020.11.29
あなたを強める神
2020.12.6
慈愛に満ちた神
2020.12.13
神の御前に立つ者
2020.12.20
暗闇を照らす光
2020.12.27
神に希望をかける者
2021.1.3
私たちの誇り
2021.1.10
生き返り、見つかった
2021.1.17
『否』でなく『然り』のみ
2021.1.24
行き違いを越えて
2021.1.31
赦しと力
2021.2.7
勝利の行進
2021.2.14
主の導き
2021.2.21
あなた方はキリストの手紙
2021.2.28
文字は殺し、霊は生かす
2021.3.7
顔の覆いを取り除け
2021.3.14
雪のように白く
2021.3.21
神の輝きを見よ
2021.3.28
この土の器にも