この土の器にも
説教要旨(3月28日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 4:7-15
牧師 藤盛勇紀
「土の器」とは、多くの人にとっても馴染み深い言葉でしょう。三浦綾子さんの作品にも『この土の器をも』というエッセイがあります。その中で、夫の光世さんがこう語るくだりがあります。「綾子、神は、わたしたちが偉いから使ってくださるのではないのだよ。聖書にあるとおり、吾々は土から作られた土の器にすぎない。この土の器をも、神が用いようとし給う時は、必ず用いてくださる。自分が土の器であることを、今後決して忘れないように」。綾子さんの最初の小説『氷点』が懸賞小説の1位となった時の言葉です。
クリスチャンの間では「土の器」という言葉は有名ですが、少し誤解されて使われることもあるように思われます。「私は土の器に過ぎませんから、そのような務めにはふさわしくありません」と、一種の謙遜を装うために言われることがないでしょうか。しかしパウロは、自分を謙遜して「私は土の器」だと言っているのではありません。「土の器」は確かにもろいもので、見栄えのしないものです。しかしそれは、自分を卑下したり謙遜するために言うのではありません。自分が「土の器」なのは事実です。しかし、そんな者であっても、「神が用いようとし給う時は、必ず用いてくださる」という神への信頼なのです。だから、土の器だろうが金銀の器だろうが、大事なことは「神が」なのです。神が用いようとなさるなら、その器がどんな器であろうと、必ず用いられます。
その信仰によって生きることは、自分が信仰を強く持って自分を変えるとか自分を磨くといったことではなく、むしろ塵に過ぎない自分が《神によって》捕らえられ、用いられて、神の憐れみを知れば知るほどに自分が砕かれていく生活です。「神によって」、砕かれ、削がれ、研がれて、磨かれていくことです。イエス様が「ふどうの木のたとえ」で言われたように、父なる神が、不要な枝を払って手入れをなさるのです。
聖書に記されている信仰者の歩みは皆そうです。試練に曝され、自分の醜さや弱さ罪深さを知らされ、深い挫折を経験し、自分が「土の器」だと思い知らされます。けれども、不思議と磨かれた器のように輝くのです。信仰の歩みは、空しい「土の器」の中に、なんと豊かな「宝」が盛られているのか、それに気づかされ、この土の器を選び取って、この器に恵みの宝を盛ってくださるお方へと目が開かれていくのです。
この「土の器」を用いてくださる主が生きておられる。だから自分を「土の器」だと自覚することは、ただの謙遜ではなく、「主は生きておられる」事実を喜び、証しし、主を誇ることなのです。
今週は、主イエスが十字架にかけて死なれた主のご受難を覚える週です。使徒信条で私たちはこう告白します。「主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」。イエス様の誕生を言った直後、途中の人生を飛ばすように苦難と死について語ります。イエス様は最も貧しく暗い所にお生まれになって、死ぬ時は、最も惨めで屈辱的で、最も痛ましい死を死なれました。
主の死によって私たちにもたらされた新しい命・神の命、それは、主に対して不真実で、裏切り者で、反逆者であった私たちに惜しみなく注がれました。まさに塵芥、土塊に過ぎない者のために命を注ぎ出し、この土の器をご自身のものとし、その尊い御手に取ってくださった。そのお方を忘れてはならないのです。
「弘法筆を選ばす」と言いますが、私たちは神の手に取られた粗末な器、筆です。神に取り上げられたなら、どんな器でも宝を盛る器とされ、神の恵みを証する筆とされます。それは、「死ぬはずのこの身にイエスの命が現れる」ためです。
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