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罪人を招くために

説教要旨(7月29日 朝礼拝)
アモス書 第4章4-13節
マルコによる福音書 第2章13-17節
佐藤智子

 イエスさまは、アルファイの子レビを見つけられました。レビは、下請けの徴税人でありました。同じユダヤ人でありながらも、彼はその職業ゆえに、人々から軽蔑されて、その人々の交わりから、除外されていました。イエスさまは、ご自身を取り囲む人の群れの外にいるこのアルファイの子レビを、ご覧になられました。このレビに向かって、イエスさまはおっしゃるのです。「わたしに従いなさい」と。
 自己中心性や、栄誉欲の中に留まり、そこに自分の居場所を求めていた一人の人間は、主イエス・キリストの呼びかけ、御声を聴きました。「わたしに従いなさい」。その人は、立ち上がり、そこから離れて、主イエス・キリストについて行くのです。
立ち上がってついて行く。そのようにして、レビはイエスさまに従いました。
 このようにして、イエスさまはご自身を取り囲む人の群れの外にいる人間を、呼び出されるのであります。自分とは関係がないと思っている人と、しかし主イエス・キリストはその人を知っており、その人との関係を求めて、ご覧になり、呼びかけられるのです。「わたしに従いなさい」と呼びかけられるのであります。
 イエスさまは、多くの徴税人や罪人と共に、食事の席につかれました。<実に大勢の人が>いたということと、その人たちは<イエスさまに従っていた>ということが記されています。
 イエスさまは、人々をただご自分のもとに「わたしに従いなさい」と言われて、召し出されるだけではないのです。食事を共にし、その者たちと、共におられるのであります。「食事」を、ユダヤ人たちは交わりを形づくるものとして大切にしてきました。 
 イエスさまは、ある特定の人とだけ共におられるのではなくて、このようにして、実に大勢の人をご自身のもとへと招かれ、関係を築かれるのであります。そのようにして、主であられるのです。
 ここに、ファリサイ派の律法学者が登場し、イエスさまが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、イエスさまに向かってではなくて、弟子たちに向かって言うのです。<「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」>
 イエスさまは、彼らの言葉に対して、次のように答えられました。<「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」>
 価値基準が、逆転しています。「正しい人」という存在を認めつつも、しかしここでは退けられて、むしろ「罪人」に視線が向けられているのです。イエスさまが招かれるのは、「正しい人」ではない。そうではなくて「罪人」であると言われます。
 「罪人」とは誰か。共に読みましたアモス書には、イスラエルの民の罪が描きだされていました。神さまからの裁きに際しても、民は罪を悔改めることなく、主のもとに立ち帰ることをしなかった。これが、罪人の姿であります。主なる神さまの御前にあってはすべての者が罪人であります。
 イエスさまの「罪人を招く」と言われる言葉の奥に見えるのは、主イエス・キリストの十字架であります。まことの救い主として、罪人であるすべての者をご自身の下に招いてくださるのであります。私たちと父なる神さまとの間には、十字架の主イエス・キリストがおられるのです。この方によって、私たちは神さまとのあるべき関係へ、神さまの子どもとして生きる道へと招かれるのであります。
 この朝、私たちはもう一度あの御声を十字架の許で、聞かせていただくのです。<「わたしに従いなさい」>十字架の主を見上げ、私たちを招いてくださる主の御後に従う者でありたいと願います。