立ち上がって、行きなさい
説教要旨(4月24日朝礼拝より)
ルカによる福音書 17:11-19
牧師 藤盛勇紀
イエス様の一行が、サマリアとガリラヤの間のある村に来られたとき、「重い皮膚病を患っている十人の人が出迎えた」。「重い皮膚病」はかつては「らい病」と訳されていました。今で言う「ハンセン病」です。古代だけでなくつい最近に至るまで、想像を超える苦痛を与えた病気です。彼らは「イエスさま、わたしたちを憐れんでください」と叫びました。この人々をイエス様は見て言われました。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」。律法に規定されている社会復帰の手続きです。彼らは、主のただ一言のお言葉に従いました。すると、「そこへ行く途中で清くされた」。
その中の一人がイエス様のところに戻って来ました。この人は、当時ユダヤ人から軽蔑されていた「サマリア人」でした。今、大喜びで神を賛美しながら戻って来たのです。十人とも癒やされたのですが、主のもとに戻って来たのは、この一人だけです。
こんな話を聞くと、私たちは早合点しがちです。「戻って来た人は義理堅く、サマリア人とはいえ信仰深い人だ。しかし他の九人のユダヤ人はいったいなんだ。自分の病気が治ればそれでよいのか、自分勝手で恩知らずな人たちだ」と。
しかし、それは違います。彼らはキッチリと主のお言葉に従っているのです。主は「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。つまり、律法に従って清めの手続きをせよと。この一言を、彼らは信じたのです。だから、まだ癒やされていないのに、すでに癒やされた者として祭司のところに向かったのです。彼らの信仰は見上げたのものです。主イエスが、「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」と言われた通りの信仰です。
では、一人のサマリア人と他の九人とは何が違ったのでしょうか。ひと言で言うなら「イエスを知った」ことです。九人もたしかに立派な信仰者です。そして、聖書の規定に従ってキッチリと行う信仰的な優等生です。しかし、このサマリア人はただの優等生ではなかった。九人と同じ固い信仰はあるけれども、彼にとっては、神の恵みと御力が、いや神ご自身が、このイエスにある。それが彼にとっては何よりリアルだったのです。このお方から新たに生きるしかない。このイエスこそ、本当に神が生きて私を憐れみ、恵みの御力を現してくださる。だから、律法の規定すなわち神の言葉を本当に満たすのはこのお方だ。私を「清い者(=神のもの)」と認めてくださるのはこのお方だと。神の言葉は、このイエスのことなのだと分かったのでしょう。
だから、彼は主イエスの「足もとにひれ伏して感謝」するのです。彼はこのイエスに神御自身を見ています。このイエスに神の国が来ている、その事実、その現実を、信仰によって、まさに見ているのです。
イエス様は彼に言われました、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。彼は何を得たのでしょうか。病気は癒されました。しかし、癒していただいたのは十人全員です。ただ、イエス様のもとに戻って来たこの人だけが、「あなたの信仰があなたを救った」と言っていただいたのです。「救い」は病気の癒やしや健康よりも大きいのです。健康な体をもって神にから離れることもふつうでしょう。
信仰はたしかに病気をも癒やしますが、さらにその先があります。このサマリア人の信仰は「癒しの主」を見たのです。自分が立ち帰るべき神ご自身を発見したのです。戻って行くべき所が、神の愛と憐れみと豊かさに満ちた場所であるなら、そこは「どこか」ではなく「誰か」が問題です。誰に帰るのか。サマリア人は、そのお方イエスを得たのです。このお方が、言われるのです。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを救った」。
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