神の国は来ている
説教要旨(5月1日朝礼拝より)
ルカによる福音書 17:20-21
牧師 藤盛勇紀
ファリサイ派の人々が尋ねました、「神の国はいつ来るのか」。キリスト者も「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ、神の国の全き到来を信じています。ところが、世の悪の現実を見せつけられたり、悲惨な出来事に遭遇したりすると、すぐにぐらついて、「神が生きておられるなら、どうしてこんなことが起きるのか」と思ってしまう。
「神の国はいつ来るのか」と問うのは「神の国はまだ来ていない」と見ているからです。思いとしては、じれているのです。「熱心に御言葉を学び、祈ってもいるのに、いつになったら神は答えてくれるのか」と。
しかしイエス様は、「神の国は近づいた」事実を宣べ伝えました。「神の国が来たらいいね」ではありませんし、「神の国は、見える形では来ない」のです。ファリサイ派の人々は、地震を予知しようとする学者のように、神の御言葉に真剣に心を注ぎました。しかし神の国は、人間の知性や感覚のアンテナにはひっかからないのです。
イエス様はハッキリ言われました、「神の国はあなたがたの間にある」。主はこうおっしゃるのでしょう。「神の国はあなたがたの間に来ている。そのために、この私が来ている。なのにあなたがたは見ようとしない。自分の知恵や経験や判断にこだわって、神のご支配を見ない。実に神の国はあなたがたの間にあるのに」。
ファリサイ派の人々は、実は主イエスを見損なったのです。このお方が彼らにとって何の意味もないどころか、神の国の実現にとって、邪魔な者と思われたのです。何という転倒でしょうか。しかしこれは、私たち自身のひっくり返った姿です。
主イエスにおいて神の恵みが、神の全き愛が、私たちに到来ています。ただ来ているだけでなく、神の救いのご計画が私たちを貫いています。イエスは私たちを罪の縄目から解き放って神のものとし、滅びへの定めから神の命へと移すために十字架について罪を贖い、復活して死を打ち破られました。これはすでに成し遂げられ、さらに、私たちを御自分と同じ姿に造りかえてくださるのです。
この救いの御計画はすでにスタートしています。ゴールも決まっています。だから私たちは、今自分の目が見ている現実に一喜一憂する必要もないのです。肉の目で見るなら、「どこに神の恵みのご支配があるのか」と問わざるを得なくなります。それは、御言葉に信頼せずに、常に自分の知性や感覚を頼りに生きているからです。
だから問題は、私たち自身つまり「自分」なのです。イエス様は、「自分の命を救いたいと思う者は、自分を捨てよ」と言われたではないですか。私たちがどうであろうと、神の国は私たちの間に来ているのです。主イエスが来られた以上、神の国すなわち神の恵みのご支配は始まっているのです。「神の国はあなたがたの間にある」と、主はファリサイ派の人々に向かって言われました。でも、彼らは気づきません。ファリサイ派だけでなく、主の弟子たちも含めて誰一人として気づきませんでした。けれども、彼らが気づくか否かにかかわらず、神の国は来ていました。主イエスが来ておられるからです。
このお方がおられるなら、「神の国はいつ来るのか」と問う必要もありません。主が私たちを導いておられるからです。私たちたちは、神の国の一員として生き始めればよいのです。主が用いてくださるのだから、小さなことでよいのです。目に映る小さな出来事に、かりかりしたり、縮こまったり、そんな自分の感情に一々振り回されるのをやめようと、まず御言葉に信頼しようと、そう決めるだけでも、私たちは神の恵みの証しとなります。たとえば、小さな挨拶一つでもよいのです。そこから変わります。神の国、恵みのご支配は、すでに私たちの間に始まっているからです。
説教一覧(2016年度)
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2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
遣わされて生きる
2016.5.15
神の子とする霊
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主が来られる時
2016.5.29
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2016.6.5
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2016.6.12
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2016.6.19
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2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
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2016.8.7
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2016.8.28
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2016.9.25
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2016.10.2夕礼拝
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2016.11.6
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2016.12.25
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2017.1.1
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