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衆愚の叫び

説教要旨(2月26日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 23:13-25
牧師 藤盛勇紀

 「どうしてイエスは処刑されたのか」と問われたことがあります。客観的に出来事を見れば、ユダヤ人の指導者たちの妬み、弟子たちの裏切り、ローマ総督ピラトの為政者としての自己保身の弱さなど、人間の思いの為したところだと言えるでしょう。その背後には、神の深いご計画があったとキリスト者は信じます。しかし、神のご計画は、あってはならない事を通しても進められるので、理不尽で醜い人間の現実を見ることと切り離すこともできません。
 「イエスを十字架につけろ」と叫びながら要求したのは、名も無い「民衆」でした。総督ピラトは、イエスの無罪が分かっていました。この憐れなイエスを何とか釈放しようとしました。「ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった」のです。
 恐ろしい光景です。「十字架につけろ、十字架につけろ」と「あくまでも」要求しているのは「民衆」。要求を叫び続ける群衆は、不気味で恐ろしい存在ですが、彼らが悪い人々だったわけではありません。普通のおじさんやお兄さんたちです。子供たちを愛し、町を愛し、困ったことがあれば「お互い様」と助け合い、励まし合い、共に泣き共に笑う人々。ローマ帝国の支配の下にあっても、神の民としての誇りと忍耐をもって、つつましくもたくましく生きる。そして、指導者たちを信頼して従う。そうした、基本的に善良な人々なのです。そして、イエス様によって失意のどん底から引き上げられた人々、涙の生活に笑いを取り戻した人々も少なからずいたはずです。
 しかしこの民衆が、「イエスを十字架につけろ」、そして恩赦はバラバに与えろと要求したのです。この民衆の激しい要求が、ピラトをも屈服させてしまいました。
 たしかにあのイエスは、神の国の希望を与え、信仰と愛に生きる道を開いてくれたかもしれない。しかし、実力行使に出る革命家バラバの方が現実的に見えたでしょう。イエス様が身を以て示し、開いてくださった神の愛に生きる道の方は、かえって夢幻のように思われたのでしょう。もうそんなのいいよ、そんな神の国だの神の愛だの、そんなことは腹の足しにもならないことで我々をそそのかさないでくれと。
 そして民衆は、イエスの存在そのものを拒絶しました。「殺せ、十字架につけろ!」民衆の猛り狂う叫びの中で、イエス様はなお沈黙したままです。この愚かで不当な叫びを、イエス様は驚き怪しまれたでしょうか? そうではないでしょう。計り知れない忍耐があったでしょうけれども、主は、始めから分かっておられたのです。
 これまで何年にもわたって、多くの民衆に神の国の福音を宣べ伝え、人々を癒し、励まし、慰めておられた時、やがてこの人々によってご自分が捨てられののしられ、呪われて殺されていく。そうした人間の深い罪を、はじめから知っておられました。まさに、この罪の処置のために、主はこの世に来られたのです。
 だから、激しくののしる衆愚の叫びの中で、イエス様はすべてを引き受けておられるのです。このようにして、罪人の叫びも酷い仕打ちも全て負う。そして命を献げる以外に、神の愛を現す道はなかったのです。この衆愚の叫びのただ中で、沈黙しておられる主イエスご自身が、すでに神の赦し、神の愛そのものとなっておられます。
 もし、ここで神が、愚かで残酷な民衆に怒りと裁きを現されたら、いったい誰が神の前で生きることができるでしょうか。 貧しく善良な民衆が、憐れまれるべき人々だったとしても、神の前に「罪なし」として生きられるほど善良だなどということはありません。私たちも、神の前に命を得て生きるとすれば、赦されて、神の命をいただくしか、生きる道はないのです。
 

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