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ただ、いただくだけです

説教要旨(6月19日合同礼拝より)
ルカによる福音書 18:15-17
牧師 藤盛勇紀

 今日は子供たちと一緒の合同礼拝です。このいような時、この聖書のみ言葉を思い起こす人も少なくないでしょう。小さいけれども重要な出来事です。
 「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れてきた」。「乳飲み子までも」という微妙な表現に、周りの大人がこれをどう受け止めたのかが表れています。イエス様の周りにはいつも大勢の群衆が囲んでいます。いろいろな問題を抱えている人も溢れている。そんなところに、「乳飲み子までも」連れてくるのかと。
 子への祝福を願う親たちがいる。すると「弟子たちは、これを見て叱った」というのです。弟子たちの思いを一言で言えば、「イエス様は今とてもお忙しいのだ」。しかも最近は、論争も起こっている。イエス様も弟子たちも真剣に大人の闘いをしています。そんな真剣な場所に、はっきり言えば「子供は邪魔だ」。
 弟子たちの立場を考えれば、分からないでもありません。私たちも身に覚えがあります。「いま私たちは、主のみ言葉を聞いている。真剣な礼拝を献げている。真剣な祈りが捧げられている場だ。そこに、小さな子供は、ちょっと」と。
 しかし、そのように真剣で真面目な大人に対して、イエス様が激しく怒っておられることを知るべきです。マルコ福音書では、イエス様は「憤られた」と記されています。激しい言葉です。イエス様は叱り飛ばしておられるのです。「お前たちは、何を言っているのか!」。私たちのことです。
 ただ、気をつけなければいけません。「私たちは、ああであってはいけない。子供を受け入れる配慮をしなくては。礼拝も、神の国も、大人たちだけの場ではないのだから、子供たちも招いて、子供の目線に立って考えなければ」、などど考え始めたら、主のお言葉を聞いていないということです。
 イエス様は「乳飲み子たちを呼び寄せて」、こう言われたのです。「神の国はこのような者たちのものである」。主は大人に対して、「乳飲み子や幼な子たちを受け入れよ」などと言っておられるのではありません。「子供への配慮」だとか、そんな一般的なお話ではないのです。
 大人はいつの間にか分かったつもりになっています。「大人が子供に配慮してあげる」「大人が子供を受け入れ、招くのだ」と。イエス様は、そんなご立派な大人や配慮に満た善人に対して、怒っておられます。
 大人が用意したり整えたり配慮「してあげる」前に、「神の国は、すでに、この幼な子のような者たちのもの」なのです。危ういのは大人の方です。あなたは神の国に入れるつもりでいるのか。イエス様は憤っておられます。
 幼な子は、「自分はどうすれば愛されるか」とか「どのように恵みをいただくべきか」なんて考えません。幼な子は、親が与えてくれるくれるものを、ただ受け取るだけです。乳飲み子はあてがわれるお乳をむさぼるだけです。与えられているものを受け取って生きる。「神の国は、そのような者たちのもの」なのです。
 乳飲み子は、ただいただくだけ。恵みで生きています。愛を受けて生きているのです。私たち大人も、神の子として生きているのであれば、乳飲み子と同じです。ただ恵みのみです。私たちが生きているのは、ただ神の愛のゆえです。
 なのに、「どうやって得ようか」と構えを作り、かっこつけてるのは愚かなことです。「決して神の国に入ることはできない」。
 神の国は与えられているものです。神は愛だからです。まず、子としていただくのです。それから、いただいたものがいかに素晴らしいものなのかを、後から学んで知っていくことも喜びです。こうして、神の子らの生き方は、いつでも喜んでいる生活になります。
 

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