訪れて来る神
説教要旨(8月14日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 19:41-48
牧師 藤盛勇紀
「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた」。イエス様が大粒の涙を流して泣き叫ばれた。このように泣かれたのは、後にも先にもこの時だけでしょう。その主の激しい思いが行動になります。いわゆる「宮清め」です。過越祭が間近で、世界各地から信心深いユダヤ人が集まってきます。しかしそこは、神殿での礼拝にかこつけた、ビジネスの場と化していたからです。
主の深い嘆きの理由、「それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」。神は、私たちを訪れてくださる神。そして、実際来てくださっている。なのに、人はあえて背を向けて、知ろうとしない。
ユダヤ人たちは、神からの救い主メシアを待ち望んでいました。最初の人間アダムとエバの時から以来、人類は真の命から落ちています。その意味で、全人類にとって必要な、決定的な時がついに来たのです。
ところが、エルサレムの人々はその決定的な時をわきまえず、知ろうとしませんでした。イエス様がエルサレムを見て嘆かれたのは、人々の表面的な宗教心や信仰心と実際の内面との激しいギャップのゆえです。人々は、エルサレムに入城されたイエスを、歓喜して迎えました。しかし、実は彼らは何も分かっていいなかったし、主イエスを受け入れようとしなかったのです。
主は嘆かれます、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・」。「平和への道」は、主イエスを信じて受け入れて生きる道、このお方の恵みのご支配のもと、このお方の命に生きる道です。しかしエルサレムの人々は、それを受け入れなかった。今まで通りの生活が当たり前につづくことを選んだのです。だから主は、エルサレムの崩壊を予告されます。そして、40年後の紀元70年に現実となります。この時の状況と影響が、2千年経った今もなお続いているのではないでしょうか。
イエス様は神殿を「祈りの家」と呼ばれます。この言葉はイザヤ書56章の言葉ですが、そこにこうあります、「主のもとに集ってきた異邦人は言うな、主は御自分の民とわたしを区別されると。宦官も、言うな、見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と」。つまり、自分で自分を憐れむのはやめよと、自己憐憫を否定しておられるのです。
「自分は神の民に属さない異邦人だから、神の祝福と救いから漏れているのだ」などと言うな。「私は去勢された『宦官』だから、子孫をもうけることができない、役立たずの枯れ木だ」などと、そんな泣き言を言うな、もう言わなくていい、と。「あなたは自分で自分を憐れむのか。神が来ているのを知らないか。神は来られる。そして、実際あなたと共におられる。だから、『どうせ私は』などと、独りぼっちで自分を憐れむのはもうやめなさい」。
その流れで、主は言われるのです。「わたしの家は、すべての民の祈りの家」と呼ばれる。つまり、「すべての民」が祈ることができるのです。神がどのようなお方であるかを、私たち異邦人も知ることができるからです。神がどんなお方なのかが分かれば、自分がどんな者なのかが分かり、喜んで生きることができます。
イエス様の嘆きは、「あなたはなぜ、そのような神を迎え入れないのか」という問いでしょう。しかしこの主の嘆き悲しみは人々に理解されません。そんな人間のために、その罪を取り除く犠牲の小羊となるために、主は十字架への道を歩まれます。
「あなたがたの罪は、私がすでに担って、すべて処置した。私が過越の小羊として屠られ、犠牲となり、神の呪いとなって十字架についたのだ。だから、あなた方は、滅びでなく命に来なさい」、「呪いではなく、祝福の道を行きなさい」と、主は今も激しく、私たちに迫り来て、真の命と平和への道に招いておられます。
説教一覧(2016年度)
2016.4.3
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消えていく
2016.4.17
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立ち上がって、行きなさい
2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
遣わされて生きる
2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
謙遜をかさねて
2016.6.5
ほうっておけない神
2016.6.12
主よ、あなたしかいません
2016.6.19
ただ、いただくだけです
2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
あなたの信仰があなたを救った
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救いは訪れる
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2016.8.7
主の御用のために
2016.8.14
訪れて来る神
2016.8.21
天からの権威
2016.8.28
使徒たちとともに
2016.9.4
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2016.9.18
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2016.9.25
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2016.10.2朝礼拝
主のまなざし
2016.10.2夕礼拝
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2016.10.16
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2016.10.30
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2016.11.6
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2016.11.13
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2016.11.20
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2016.11.27
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2016.12.4
人間のたくらみ、神の備え
2016.12.11
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2016.12.18
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2016.12.25
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2017.1.1
あなたを造る聖書
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どちらが憐れか
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