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神の子、イエス・キリスト

説教要旨(2月12日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 22:63-71
牧師 藤盛勇紀

 逮捕されたイエス様は、侮辱され暴行され、尋問を受けます。イエス様を裁く者たちの口から、「お前がメシア(キリスト)なら」とか「お前は神の子か」という言葉が出ます。しかし彼らは、それが真実だなどとは思ってもいません。下っ端どもから侮辱され、愚弄されているこの惨めな男イエスが自分の救いと関わる存在だなどと、夢にも思っていないどころか、救いと真の命に関わる真実の言葉が、ここでは神の子メシアを裁いて殺すために、利用されています。まさに「豚に真珠」(マタイ7:6)です。イエス様を裁いている宗教的指導者たちにとっては、イエスがメシアだとは、天地がひっくり返ってもあり得ないこと、考えることさえ汚らわしいことです。
 私たちも、ここで改めて問われます。ではあなたは、このイエスを何者だと言うか。私たちは、イエスを裁く者たちとどこが違うのでしょうか。あるいは彼らにそそのかされ操られて、「イエスを十字架につけよ」と叫ぶ群衆と、どこが違うのでしょうか。
 祭司長たちは問いました、「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」。イエス様はこう答えられます、「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう」。まさにその通り。問われている人々は、すでに自分で判断を下してしまっているのです。あとは、どのように殺すか、だけです。
 では、この緊迫した事態に打開策はなかったのでしょうか。どうにもならないのでしょうか? 主はどうにもなさいません。それは、こうして神の御子が多くの人々から憎まれ、裏切られ、捨てられ、侮辱されたあげく、呪われた罪人として死ぬことが、神の御旨だったからです。
 一つ、主は確かなことを言われました。「今から後、人の子は全能の神の右に座る」。ところが、この真実な言葉に、人々は飛びつきます。「ついに言ったな。お前は、全能の神の右に座ると言った!」。皆が一斉に殺到します。「では、お前は神の子なのか!」 ついにイエスは神をあからさまに冒涜した! この言葉で十分すぎる! もうこれ以上イエスを尋問する必要はありません。後はローマ総督の権力を借りて、イエスを冒涜者として、呪われた者として十字架につけて殺すだけです。
 こうして、神の御子が私たち人間の罪を負って、屠られる神の小羊として死ぬ。それによって、私たちは罪赦され命を与えられました。しかし、まさかこんな仕方で私たちの罪が贖われるなどとは、この地上で、誰一人として、思いもしませんでした。
 このイエスを、生ける神の子・キリストと信じるかどうか。このお方の前で、人間は二種類に分けられてしまします。人間にとってのまことの命、まことの救いの福音が、かえって人間を裁くことになります。人間を裁くと言っても、罪に対する罰が与えられるとか、信じないと痛い目にあうというのではありません。信じないことが、すでに裁きなのです(ヨハネ3:16~21)。
 神の御子がこの世に遣わされたのは、世を裁くためではありません。ところが、「裁くためではない」という神の愛が、まさに神の愛であるが故に、それを信じず受け入れないことが、裁きになってしまうのです。
 私たちはどうしたらよいでしょうか。神の愛の前で、裁かれない自分を主張できるでしょうか? 私たちは、神の御前に正しい者など一人もいません。神の怒りを免れるなどと思うなと、洗礼者ヨハネも語りました。神の裁きを免れない私たちです。
 しかし、神を知らない裁きの闇と滅びから私たちを救い出して、神の命に与らせてくださるお方が、ただ差し出されています。だから人は、いいように扱うのです。ご自分の命を差し出してしまわれたお方がここにいます。私たちはただ、神が与えてくださったものを、恵みとして受け入れ、いただくだけです。
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
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2016.5.1
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2016.5.8
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2016.5.29
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2016.7.3
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2016.11.6
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2017.1.1
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