主よ、あなたしかいません
説教要旨(6月12日朝礼拝より)
ルカによる福音書 18:9-14
牧師 藤盛勇紀
ファリサイ派の人は心の中で祈りました、「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」。
ファリサイ派というのがどういう人か、ほとんど説明は要らないでしょう。いつも自分を他の人々から分け、時に人を見下し、自分ははるかにましだと心底思っています。しかしこれは、私たち自身を映しています。自分を他人と比べて「私はあの人ほどじゃなくて良かった」と思い、あるいは逆に「どうして私は、あの人のようになれないんだろうか」と沈み、自分の存在の意味や価値を、他人と比べて計っている。
一方、罪人の代表と思われ、忌み嫌われていた徴税人は、「遠くに立って、目を上げようともせず、胸を打ちながら言った」。祈りにもならない呻きです。祈りの姿勢さえ取れません。この人は、自分は祈る資格さえないと思っています。
彼のような人は、どうしたらよいのか。どう生きられるというのか。しかしこの徴税人は神の前に出て、ただ「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と言えただけでした。「憐れんでください」と訳されている言葉は、じつは珍しい言葉です。意を汲むなら、こういうことでしょう、「神様、私はごらんの通りの人間です。あなたから裁かれて当然です。しかし主よ、私は他にどこに行けるでしょうか。どこで生きられるでしょうか。他に行くところはありません。他に生きるところは、もうないのです。あなたに差し出すものさえ、もう何もありません。主よ、あなたが私の罪をぬぐってください」。
詩編の51編のダビデの祈りを思い起こさせます。醜く恥ずかしい罪を指摘された時、ダビデは恥ずかしい自分のまま、ただ神の前にとどまりました。神に赦していただいて生きる他ないからです。
もしも、神の前に出ることをやめてしまったら、私たちはどこで生きるというのでしょうか。イエス様は言われます、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高くされる」。これを、「私はへりくだったら高められる」などと読むことはできません。あるいは、「自分は高いんだろうか、低いんだろうか」などと考え始めたら、永遠に浮き沈みするだけでしょう。
イエス様は、「この徴税人のように謙遜になれ」などと求めておられるのではありません。そんな話なら誰にでもできます。しかし主は、まさに主として宣言されます、「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人だ」。これは非常に危険な言葉です。罪人を義とすることがおできになるのは、神だけだからです。
徴税人は自分が義とされた事実を知らないまま帰ったでしょう。しかし、神の側ではすでに「義」としてくださっている。それが真理なのです。「あなたの罪は赦された」と宣言される神の真実、天にある現実が、この徴税人にとっての事実となり、私たち自身の現実となるとすれば、それは信仰を通してです。つまり聖霊によって、私たち自身がその真理をいただくのです。
「義人は、信仰によって生きる」と聖書にあります。信仰による義、信仰による真の命をもたらすために、主イエスは来られ、十字架に死んで復活され、聖霊を与えてくださいました。そして、聖霊によっていま私たちの内におられるので、私たちは自分が神の子とされている事実を知って、神を「父よ」と呼ぶのです。
誰がファリサイ派か、誰が徴税人かではありません。誰が私たちの主なのか、です。主は「私は言っておく」と言われます。このお方の言葉をこそ信じてよいのです。恥ずかしい罪を負っていても、このお方のもとになら、出ることができます。
説教一覧(2016年度)
2016.4.3
誰の言葉を聞くのか
2016.4.10
消えていく
2016.4.17
信じて、願え
2016.4.24
立ち上がって、行きなさい
2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
遣わされて生きる
2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
謙遜をかさねて
2016.6.5
ほうっておけない神
2016.6.12
主よ、あなたしかいません
2016.6.19
ただ、いただくだけです
2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
あなたの信仰があなたを救った
2016.7.17
救いは訪れる
2016.7.24
小事を生かせ
2016.7.31
終末からこの世を見る
2016.8.7
主の御用のために
2016.8.14
訪れて来る神
2016.8.21
天からの権威
2016.8.28
使徒たちとともに
2016.9.4
神無き世を越えて
2016.9.11
神のものは神に
2016.9.18
神学論争の終わり
2016.9.25
メシアはダビデの子
2016.10.2朝礼拝
主のまなざし
2016.10.2夕礼拝
主イエスの言葉を思い出して
2016.10.16
終末のしるし
2016.10.23
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2016.10.30
ゆるして自由になりなさい
2016.11.6
主の言葉は滅びず
2016.11.13
本当に大切なこと
2016.11.20
豊かに実を結ぶ
2016.11.27
新人類が現れた
2016.12.4
人間のたくらみ、神の備え
2016.12.11
宿命を超える主の愛
2016.12.18
必ず実現すること
2016.12.25
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2017.1.1
あなたを造る聖書
2017.1.8
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2017.1.15
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2017.1.22
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2017.1.29
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2017.2.5
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2017.2.12
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2017.2.19
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どちらが憐れか
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2017.3.19
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闇の中の光