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虚無と希望

説教要旨( 3月29日 朝礼拝 )
イザヤ書 第40章 6 ~ 8節
ローマの信徒への手紙 第 8章18~25節
倉橋康夫

 本日の段落の最初で、パウロは、<現在の苦しみは、将来わたしたちに現れるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。>との確信を表明します。そして次に、「なぜならば、被造物の切なる眼差しは、神の子たちの現れ出るのを熱心に期待しているからである。」(直訳)と言います。「被造物の切なる眼差し」とは、動物が、頭をすっと伸ばし、耳をピンと立てて見つめる姿を示唆する字です。被造物が、もう間もなく、目の当たりにする事態を、待ちきれないようにして待っている、と言うのです。そして、23節では、<被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。>、と言います。つまり、キリスト者の救いの完成のことです。キリスト者の救いの完成は、全世界、全宇宙、被造物全体に関わることだ、と言うのです。それは、神の創造のみ業の完成を意味するからです。
 ところが、被造物の現実は、虚無に服している、と言います。そして、それは、<自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるもの>、と言うのです。私たちは、ここで、アダムとエバの物語を思い出させられます。二人が、神に対して罪を犯した時、神は土を呪い、土に返るだけの苦しみの歩みを宣言されました(創世記 3 : 17b~19)。虚無に服する歩みを、被造物が、人類が、願った訳ではないでしょうが、その原因を作ったのは、アダムとエバであった、と言わなければなりません。しかしながら、そのような不幸の背後に、憐れみの神、愛の神がおられます。パウロは、しっかり、その創造主なる神を見つめています。それ故に、<被造物は虚無に服していますが、・・・・・ 同時に希望を持っています。>、と言うことができるのです。虚無に服しつつ、希望の中にある、ということです。この世界は、そして私たち人間は、「虚無と希望」の只中にあるのです。
 このような、被造世界の現実を見据えながら、イザヤは既に、<7・・・・・ この民は草に等しい。/8草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。>、と預言しました。ペトロもこれを引用してから、<これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。>(Ⅰペトロ1 : 25)、と言っています。主なる神の祝福の約束は、反故にされることはない、そこに、望みを置き続けることができる、とイザヤは預言し、ペトロもパウロも、同じ神への信頼を告白するのです。パウロは、<つまり、被造物も、いつか滅びの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。>(21節)、と言います。神の子供たちが受ける“栄光”に被造物も与る、と言います。神の子供たちが、受ける栄光は、これまでも見てきたように、主キリストの復活の命に入れられることで、最終的には、朽ちない体に復活させられることです。そのように、体が贖われることに、他の被造物も与る、と言うのです。それは、<新しい天と新しい地>の出現のことです(Ⅱペトロ3 : 13)。そして23節では、<被造物だけでなく、 “霊”の初穂をいただいているわたしたち>の切実な思いとして語ります。<“霊”の初穂をいただいている>とは、既に見たように、神を「アッバ、父よ]と呼ぶものとされた、ということです。神の子供とされたキリスト者こそ、切実に救いの完成を待つ者です。
 そして、<わたしたちは、このような希望によって救われているのです。>、と言います。希望は、未だ実現しておらず、目に見えるものとなっていません。しかし、この希望によって救われている、と言います。この希望は、既に起こった主キリストの出来事を根拠とするからです。あとはただ、その時をひたすら待つのみなのです。「虚無と希望」 虚無に服しているとしか言えない人間の現実にありながら、しかし、私たちはしっかりと、希望の中に生かされているのです。
 

説教一覧(2008年度)

2008.04.06
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2008.04.13
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2008.04.20
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2008.04.27
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2008.05.04
神の約束に生きる
2008.05.11
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2008.05.18
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2008.05.25
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2008.06.01
聖霊によって、神の愛が
2008.06.08
あなたがたは、決して信じない
2008.06.15
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2008.06.22
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2008.06.29
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2008.07.06
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2008.07.13
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2008.07.20
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2008.07.27
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2008.08.03
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2008.08.10
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2008.08.17
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2008.08.24
神に属すること
2008.08.31
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2008.09.07
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2008.09.14
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2008.09.21
自分自身を神に献げよ
2008.09.28
自由と服従
2008.10.05
賜物としての永遠の命
2008.10.12
あなたの中にある光
2008.10.19
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2008.10.26
この人たちに食べさせる
2008.11.2
わたしたちの本国
2008.11.9
恐れることはない
2008.11.16
父なる神さま
2008.11.23
永遠の命に至る食べ物
2008.11.30
神に背負われて行く道
2008.12.7
罪が掟を利用し
2008.12.14
天から降ってきたパン
2008.12.21
主キリストのご降誕
2008.12.28
聖なる律法
2009.01.04
罪の正体
2009.01.11
命を与える霊
2009.01.18
撃ち破られてはならない
2009.01.25
惨めさからの救い
2009.02.01
主キリストに結ばれて
2009.02.08
備えられている時
2009.02.15
人となられた神の御子
2009.02.22
霊の思いは命と平和
2009.03.01
アッバ、父よ
2009.03.08
真実な人
2009.03.15
苦しみと栄光
2009.03.22
さあ、立ち上がりなさい
2009.03.29
虚無と希望