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悔い改めはいつも明るい

説教要旨(4月14日 朝礼拝)
マルコによる福音書 2:13-17
牧師 小宮一文

 イエスさまとレビという徴税人との間に起こった出来事です。「主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ」(詩編33:9)。
 その通りのことが起こりました。神さまが「光あれ」と言われたから光がありました。神さまが捕囚のイスラエルの民に「生きよ」と言われたからイスラエルは生きました。同じことがこの徴税人にも起こりました。言葉がレビを命に呼び起こしました。しかし言葉が私たちを命に呼び出す出来事であるなら、私たちにとって一番重い裁きとは、神さまが何も語らないということです。
 ベルンハルト・シュリンクというドイツの人が書いた『朗読者』という小説があります。
 こういう話です。主人公は高校生くらいの男の子で、舞台は戦争が終わって少し経った頃のドイツです。あるとき、主人公のその男の子が病気で道に倒れていたところを、そこにある女性が通りかかり、その少年を介抱します。それがきっかけとなり、二人は恋人の関係になります。その女性は文字の読み書きができませんでした。そこで少年はその女性にいろいろな文学作品を朗読するようになります。
 しかしあるとき、その女性は突然仕事を辞め、少年の前からも姿を消します。しかし連絡が取れなくなってから数年後、二人はある場所で偶然再会します。それはナチスの強制収容所に関する裁判の法廷でした。そこに被告人としてその女性がいました。
 その女性はかつて強制収容所で働いていたことを裁判で裁かれ、無期懲役の刑に服します。そしてもう成人し大人になった少年はどうしたかと言うと、かつて朗読していたようにいろんな文学作品を朗読して、それをカセットテープに録音して、それを女性のいる刑務所に送ります。それを続けます。その間、女性は刑務所の中で読み書きを覚え、手紙を書けるようになります。そして、かつて少年だった男性に手紙を送るのですが、その男の人は相変わらず文学作品の朗読をカセットテープにして送り続けます。
 あるとき、女性に恩赦が下り、模範囚でもあったので出所できることになりました。そして出所する日の朝、女性は自殺します。
 話には少し続きがあって、その男性は女性のいた刑務所の所長からこう問われます。「ハンナさんはあなたからの手紙を待っていました。あなたはどうして朗読のテープばかりで、自分の言葉で語らなかったのですか」。この男性はその質問に答えることができないまま、あれこれしてこの小説は終わります。
 私は説教者としてこの刑務所長の言葉を一生忘れないと思います。この刑務所長は「美しい朗読ではなくて、なにかひとことでもいいから、自分の言葉でほんとうのことを語ってほしかった」と言いたかったのだと思います。
 でもほんとうにそうだと思います。なにかひとことでもほんとうのことを伝えてくれれば人は生きることができるし、良いことでも悪いことでも、だれもほんとうのことを自分に語ってくれなかったら人は死ぬのです。神さまは「ほんとうのこと」をイエスさまに託して語ったのです。神さまの私たちに対する答えがイエス・キリストです。
 
 「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」(エゼキエル33:11)。
 これが神さまの、私たちに対するほんとうのことです。そしてこれが私の言えるほんとうのことです。