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あなたの宝を天に

説教要旨(6月2日 朝礼拝)
マタイによる福音書 6:19-24
牧師 藤盛勇紀

 「富(宝)」は地上ではなく天に積みなさいと主は言われます。人は、物質的なものに限らず様々な財産をこの地で積み上げます。経験やキャリア、記録、功績、徳や善行。積み上げたものはその人の財産だと言われます。どの時代の人も、地上で何かを獲得し、積み上げ、幸いや人生の充足感を得たいと必死です。
 しかし地上では、「虫が食ったり、さび付いたり、盗人が忍び込んで盗み出したりする」。誰でも分かっているのです。でも、この地上以外に宝を積む所を知らない。天を見ることを知らない。だから人ばかりを見て、地を這いつくばって生きている。しかしあなたが見るべきところは違うのだと主は言われるのです。
 「天」とは何でしょうか。イエスは弟子たちのことを、「私が世に属していないように、彼らも世に属していない」と言われました。どこに属しているのか。天です。主は天からこの地に来られ、私たちが天に属する者、神の命に与る者となるために必要な業を成し遂げ、今天におられます。その主の霊が、この地上に生きる私たちの内に住んでおられます。
 パウロは言いました。「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます」(コロサイ 3:1)。神の右の座は、私たちと無関係な所ではありません。神は私たちをキリストと共に復活させてくださいました。私たちはこの地上で、朽ちる体と共に生きていますが、霊は「命を与える霊」となられたキリストによって、キリストと共に復活させられ、天の御座に着いているのです(エフェソ2:6)。
 《古い私》は十字架に付けられていますから滅ぶだけですが、《新しい私》はキリストにあって、天からこの地上へと遣わされているのです。私たちは、天にある祝福と恵みを、この地上に映し出す器です。
 だからこう言うのです。「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました」(エフェソ1:3)。天の霊的な祝福は絵に描いた餅ではありません。天の祝福は、この地上に恵みとして注がれ、代々にわたって現されるのです。地上にいる私たちを通してです。だから「上にあるものを求めなさい」と言い、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」(2コリント4:18)と言うのです。
 私たちはこの地上を生き、朽ちていく体を住みかとしていますから、この体を支えるためのモノが必要です。お金も人も必要。しかし私たちは《モノ・カネ・ヒト》に仕えて生きる者ではありません。この世は金次第とする生き方は、カネを神にするマモニズムです。
 主は「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と言われます。ここの「富」は「マモーナス」つまりマモンです。私たちは神とマモンとに仕え、両者を愛することはできません。どちらか一方を愛して生きる者です。
 私たちの神は天から、つまりご自身から、私たちに必要なものを全てくださいます。私たちはこの方からいただき、この方を喜んで、この方と共に生きる者です。そのために、私たちはこの地に来られたイエスに結ばれました。この方と共に神を父と呼びます。マモンの子ではなく神の子として生きてよいのです。
 本当の宝は天の父、神と共にあることです。神はインマヌエルの神。いつでもどこでも、私たちと共にあって、豊かに生かそうとしてくださるお方。私たちが求める以上に、加えて与えてくださるお方です。[私たちの宝のあるところに、私たちの心もある」。私たちの心、私たちの顔を神に向けるなら、そこに私たちの宝があります。そして、宝である神とその恵みと祝福が、この地で私たちを通して現れます。私たちに必要なこと、私たちに求めらいることは、常に主につながっていることです。そこでいつの間にか、内なるキリストが私を通してご自身を現してくださって、その豊かさを味わわせてくださるのです。