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主の名を呼ぶ霊

説教要旨(5月19日 ペンテコステ礼拝)
使徒言行録 2:1-21
牧師 藤盛勇紀

 ペンテコステのこの日に何が起こったのか。衝撃的な出来事でした。十二弟子を中心にしたイエスの弟子たちは、復活の主が約束されたものを祈って待っていました。これから一体どうなるのか全く分からず、ただ待っていた。そこに「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。聞いたことも見たこともない異様で圧倒的な光景と経験です。弟子たちは他の国々の言葉で話し始め、ペトロは立ち上がって声を張り上げて、壮大な説教を語ります。これが、イエス様が10日ほど前に地上を離れる時に約束された、聖霊による力でした(1:8)。それがこの日、彼らに降ったのです。
 ペトロは説教の中でヨエルの言葉が引用します。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」。そして、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」との言葉で引用が終わります。「すべての人」とは、「主の名を呼び求める」すべての人です。これは、後に異邦人への使徒とされたパウロがローマ書で引用しています(10:14)。「主の名を呼び求める者は皆、救われる」。この真理がいかに力強く、慰めと希望に満ちているか。それを知らせたのも聖霊の働きです。この聖霊によって教会は生まれ、聖霊によって教会は一つとなり得たのでした。パウロはコリント教会への手紙で、こう挨拶を書き送ります。「コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人」、この人々は「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々」だと。
 パウロは「主の名を呼び求める者は皆、救われる」という言葉を引用した後、すぐこう言いました。「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう」(ローマ10:14~)。
 私たちが主を呼ぶのは、信じたからだ。信じたのは、聞いたから。聞いたのは、宣べ伝える人がいたから。宣べ伝えるのは、遣わされたからだ、つまり、遣わした一人の主がおられるからだ、と言うのです。
 主が人を遣わして、召し、招き、それを聞いて応える人々が起こされるところに教会は生まれます。主の招きに応えたとき、私たちは「主のもの」とされます。キリストと結ばれ、神の子とされた恵みを経験していく者とされるのです。こうした経験の内に働いてくださっているのが聖霊です。聖霊は私たちにイエス・キリストを現し、キリストに現された神の愛と恵みを理解させ、受け入れさせます。こうして、聖霊はご自身を証しなさらず、私たちの内にイエス・キリストを証ししてくださるお方です。
 私たちは聖霊のイメージをつかむ必要はありません。大事なことは、聖霊が証しなさるキリストを知ることです。イエスを知って、信じて、イエスと共に「アッバ、父よ」と神を呼びます。このことは、私たちが神の子とされていることの証しです。私たちは主のものとされている。そして、主は決して私たちを放したまわず、主が約束された通り、私たちに注がれた聖霊は永遠に私たちと一緒です。
 パウロは言いました。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」(ローマ8章)。
 私たちはその霊を宿す神の神殿です。どんな時も、どこにいても、生きておられる主との交わりの内にあります。聖霊はこのような現実を私たちにもたらしてくださいます。