回帰不能点を越えた民
説教要旨(11月3日 朝礼拝)
マタイによる福音書 9:27-34
牧師 藤盛勇紀
イエス様が盲人を癒やした出来事と口の利けない人が口が利けるようにされた出来事が続けて起こります。これはイスラエルの歴史において決定的な分岐点になりました。盲人がイエスに叫びます。「ダビデの子よ」。これは特別な意味を持ちます。真の王・救い主メシアです。メシアがついに来られた、その期待がすでに芽生えている。イエスがなさる数々の奇跡はそのしるしでした。このことは、エルサレムの指導者層にも聞こえています。
ユダヤから見れば北の果てのガリラヤの人々が、メシアが現れたと言って騒ぎになっている。ところがその男は、名も無い村の出身で特に教育も受けていない貧しい大工の子。祭司たちや律法学者、ファリサイ派の人々は怪しみます。そんな男がメシアであろうはずがない。彼らは様子を伺いに来ています。確かにイエスは目覚ましい奇跡を行っている。しかし、イエスは漁師たちを弟子とし、徴税人まで弟子にし、多くの罪人たちと一緒に飲み食いしている。知れば知るほどイエスへの嫌悪感は増し、憎悪が燃え上がっています。
ここで盲人は「ダビデの子よ」と呼びます。イエスに対しこう呼びかけられるのはこれが初めてです。聖書に通じている者たちは、なんと愚かなこと、と思います。さらにイエスは口の利けない人から悪霊を追い出した。
これはただの悪霊追い出しではありません。口の利けない人から悪霊を追い出すことは、メシアにしかできません。だから「群衆は驚嘆し、『こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない』と言った」のです。イエス様がメシアであることはいよいよ否定できない。ところが「ファリサイ派の人々は、『あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している』と言った」。これが、ユダヤ人の指導者たちの下した結論でした。この後12章でも同様の事が起こります。すでにファリサイ派の人々は、「どのようにしてイエスを殺そうか」という相談を始めています。イエス様の悪霊追い出しも、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と断定します。これが、イエスに対するユダヤ教の正式な判断です。イスラエルの歴史において、これが「回帰不能点(離陸した飛行機が一定の距離を飛行したら、もはや出発地点に戻ることができない点)」となりました。
私たちは、「こともあろうか、神の御子を『悪霊の頭』と断定するとは。取り返しのつかないこととはこういうことだ」と思います。しかし、私たちの内に、取り返しの付かないことをした経験のない者がいるでしょうか。私たちを造り存在させ、必要なものを与えてここまで生かし、誰かから愛され愛する者とし、悲しみや苦しみ悩みを経験させ、それでもなお希望を備え、闇の中でも光を見させ、喜びを味わわせてくださる私たちの主。このお方を疑ったことのない人、神をいないものとしたことのない人がいるでしょうか。
私たちは誰でも取り返しのつかないことを抱え、回帰不能点を越えてしまった民、見えているつもりで、何も見えていない民です。こんな民に主は、「神の国は近づいた」と宣べ伝えられます。神の国はどのように来るのでしょうか。回帰不能点を越えて着地点のないまま墜落すべき民に代わって、イエスにあって神ご自身が死へと墜落し、死ぬべき者たちを天へとつなげてくださいました。私たちはこの方に結ばれて、天の故郷を目指す者とされました。
そのお方が盲人に言われます。「あなたがたの信じているとおりになるように」。ハッとさせられます。私はどうだろうか、と。しかし主は、あの疑い深いトマスに言われました。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる者は、幸いである」。主は私たちに、ただ信頼することだけを求めておられます。
私たちも「はい、主よ」と応えたい。「主よ、信じます。不信仰な私を助けてください」と。今日私たちは、先に召された人々を想起しています。私たちもいずれ、誰かから思い起こされる側になります。もし、私が思い起こしてしてもらえるとしたら、「あの人は主を信じた」と言われる、それだけで十分です。信じない者だったのに、主を信じる者にされた。それが全てです。
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