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しるしを欲しがる時代

説教要旨(3月16日 朝礼拝)
マタイによる福音書 12:38-45
牧師 藤盛勇紀

 「よこしまで神に背いた時代」と主は言われます。「神に背いた」は意訳で、元の言葉は「姦淫」です。旧約聖書に何度も出てきますが、具体的な姦淫の罪というより、神に背くことを姦淫と表現しているのです。そして、そんな時代のことを「汚れた霊が戻ってくる」というたとえで示されています。イエス様は誰に向かって語られたのか。直接的には律法学者とファリサイ派の人々です。民の宗教的指導者、主の戒めを忠実に守っていると自他共に認める信仰的優等生です。
 悪霊は自分が出て来た所が空き家になって、しかも掃除をして整えられているのを見つけます。清く正しく美しい。これはファリサイ派や律法学者たちのことです。彼らは自分を神の前に相応しく清め、正しく生きることに熱心でした。それはさぞ悪霊にとって居心地が悪いことだろうと思われますが、むしろ、素晴らしく居心地が良いのです。人が自分で自分を清くしようとする所、そこは悪霊にとっては居心地良く、活動しやすい場。清く・正しく・美しい彼らの心こそが、汚れた霊の住みかとなるのです。
 これはキリスト者にも起こりがちなことです。自分の前に線を引いて、「あの人たちのようでなくて良かった」「こちら側にいる私は幸いだ」だと思う。それがファリサイ派です。自分で自分を清く保とう、正しい者でいようとして、自分を綺麗な「空き家」にしてしまう。そこがどれほど清く正しくても、そこに信仰はありません。信仰が無くても立派な道徳家になれます。信仰が無くても非の打ち所の無いような人はいくらでもいます。しかし、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ11:6)。「信仰に基づいていないことはすべて罪なのです」(ロマ14:23)。神の前に清い心は、自分で生み出すことはできないのです。ただ神が創造してくださるしかありません(詩51:12)。
 ファリサイ派的な人が、清く正しく線を引くのはなぜでしょうか。不満だからです。「なぜあの人たちはこうできないのか。なぜしないのか」。そうした不満は、結局神に対する不満です。「なぜこんな人を赦すのか」「なぜこんな悪を許すのか」と。
 「神に背く」とは姦淫ですが、具体的な姦淫も、夫や妻に対する不満から出るのでしょう。私の夫は、妻は、あの人は、なぜこうなのか。どうして私が望むようになってくれないのか、と。イスラエルの民が出エジプト以来ずっとそうだったようにです。いつも何かに不満で、不平をもらし、つぶやく。それは常に神へのつぶやきでした。
 人に対して理想を求め、自ら清く正しくあることを求める。それは神への糾弾につながります。「あなたはそれでも神なんですか!」。
 「しるしを求める」というのは、「神なら、神らしいところを見せてくださいよ」という要求です。しかしイエス様は、しるしは「ヨナのしるし」だけだと言われます。イエス様の十字架の死と復活です。神が人から理解されず、不満を抱かれたまま、人に捨てられて殺される。「しるしは」それだけだ、それこそがしるしなのだと言われるのです。
 私たちが求めるべきはしるしではなく、人間の義でも正しさでもありません。主は言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(6:33)。空の鳥を見なさい、野の花を見なさいと言われた、あの有名なたとえの結論です。
 「神の義」とは何でしょうか。イエス様はマタイ福音書でホセア書6章の言葉を二度引用しておられます。神が求めるのは憐れみであって、献げもの(律法の行い)ではないと。
 神は預言者ホセアに命じました。淫行の女をめとれと。さらに、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよと。姦淫した者は死刑だと律法は命じています。しかし、姦淫する女を愛せよ、と主は言われるのです。そして「私が喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ること」だと。ホセアは、姦淫する妻を愛するよう命じられますが、そのようにして、憐れみの神を知っていったのです。
 私たちが頼るべき方、聞くべき方は、私たちの内に住んでおられる主の霊です。この方と共に生き、この方に聞いているなら、私たちは自分や他人にすがってつぶやくことから解放されて、主の愛と自由を味わうでしょう。
 

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