み言葉を信じて
説教要旨( 7月24日 朝礼拝)
詩編 第107編17-22節
ヨハネによる福音書 第4章43-54節
倉橋康夫
主イエスは、シカルの町に2日間滞在された後、ガリラヤに行かれます。<ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した>のですが、主イエスはその歓迎を喜ばれませんでした。第2章23節に、<イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。>、とあります。ガリラヤの人々の歓迎も、そのようなものだったからです。
ところで、主イエスはガリラヤ地方の町カナに行かれます。ここに<王の役人>が登場します。彼はガリラヤの人々を代表している、と考えられます。カファルナウムから、主イエスのもとに駆けつけたのです。彼は、死にかかっている息子を治して欲しいと懇願します。この父親の必死の願いです。この願いを聞きながら、主イエスは、あなたがた(ガリラヤ人)は、しるしや不思議な業を見ない限り、決して信じようとしない人たちだ、と嘆かれます。しかし、この役人は、それでもめげることなく、<「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」>、と重ねて懇願するのです。
ここで、主イエスは、繰り返される役人の嘆願に対して、ご自身で一方的に決断をし、それを役人に伝えられます。<「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」>、と。マタイ福音書 第8章とルカ福音書 第7章には、百卒長の僕の癒しのエピソードがあります。そこでは、主イエスが、百卒長の信仰をご覧になって、僕を癒された、とされています。百卒長の信仰に重点が置かれています。しかし、ここでは、主イエスの一方的な恵みの決断に重点が置かれます。
驚くべきことに、この役人は、主イエスの<言われた言葉を信じて帰って行った>、のです。ここで起こったことを説明するのは不可能です。<しるしと不思議な業を見なければ、決して信じない>と言われたガリラヤの人々を代表する役人が、何故、主イエスのお言葉だけで、信じ得たのか、この文脈だけでは説明がつかないのです。しかし、この説明のつかないことが起こったということこそが、この段落の中心的なメッセージです。
主イエスがエルサレムでなさったしるしを見て、歓迎するガリラヤの人々に対する、主イエスの回答は、この出来事によって示されています。徒にしるしを求めるのではなく、主イエスの約束のみ言葉をしっかり受け止め、信じて歩むべきである、ということです。主イエスの約束のみ言葉を聞いた時、この役人は、しるしを見る必要を感じることなく、信じ得たのです。
この主の約束のみ言葉は、<あなたの息子は生きる>でした。この「生きる」という字は、第4章10、11節の<生きた水>で用いられておりました。主イエスは「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命にいたる水がわきでる」、と言われたのです。つまり、ここで、病気が治ると同時に、それ以上のことが示されております。「命」に結ばれる、永遠の命に結ばれる、ということです。それは、救いに入れられる、ということに通じます。併せて読んだ詩編 第107編に、主なる神に助けを求める者に対して、神はみ言葉によって、癒しと救いをお与え下さる、との信仰が告白されています。
み言葉を信じて帰った父親は、息子の癒しの事実を見て、主イエスへの信仰を確かなものにし、家族一同をも信仰へと導くことになります。<そして、彼もその家族もこぞって信じた。>、とあります。主イエスの約束の「み言葉を信じて」帰った父親を通じて、家族一同が救いへと導かれました。様々な言葉に取り囲まれ、惑わされがちなこの世の歩みにあって、私たちはただ、主のみ言葉のみを信じています。それは、唯一の確かなしるし(主の十字架と復活)を知らされ、主のみ言葉こそ信じ得る、と確信しているからです。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定