主イエスの行かれる所
説教要旨(2月19日 朝礼拝)
詩編 第92編1~7節
ヨハネによる福音書 第7章32~36節
倉橋康夫
群衆の中に、主イエスを信じる者が大勢いることを聞いて(32節)、<祭司長たちとファリサイ派の人々>が、<下役たち>(神殿警備員)を、主イエスを捕らえるために遣わします。それを知って、主イエスは言われます。<33 そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。34 あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」>、と。
最初に言っておられることは、「しばらくの間、主イエスは共におられる」ということです。裏を返せば、やがて、主イエスは一緒におられなくなる、という切迫した「時」の中にあることを意味します。ここでは、主イエスが十字架にお架かりになる、その時が間近に迫っているとの緊迫感を伝えつつ、その主イエスが今共にいて下さる、という緊迫感をも重ね合わせている、と読むことができます。
ヨハネ福音書のこの先、第12章35、36節で、次のように言われています。<35 イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。・・・・ 36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。>、と。ここに、主イエスが一緒にいて下さるという緊迫感が良く表現されています。ここで「光」とは、言うまでもなく、主イエスのことです。
つまり、主イエスが共にいて下さる中で、私たちは常に主イエスに対する信仰の告白を迫られる、ということです。そして、その信仰告白は、日々新たに喜ばしく為されて行くものである、と言うことができます。
つまり、私たちキリスト者にとって、主イエスをどなたと告白するか、との問いの前に立つ緊迫感は、事柄自体としては深刻なものですが、重苦しく暗いものではなく、喜ばしい告白へと導く緊迫感なのです。
次に、主イエスが、どこから来て、どこへ行かれるのか、ということに注目させられます。主イエスは言われます。<「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。>、と。主イエスは、神のみ許からこの地上に来られ、また、その方のみ許へ帰られる、言われるのです。
主イエスが、神のみ許から遣わされた方として、ここにおられるとは、神との接点が、この地上に置かれたことを意味しています。ここに、限りない緊迫感が漲らない筈はありません。この神の領域と、地上の領域と触れ合う接点に立つ私たちは、その緊迫感の中で、主イエスを神の子と告白するのです。それは、何よりも、礼拝の場においてです。
この礼拝を捧げる者たちの幸いを、併せて呼んだ旧約聖書・詩編 第92編は謳い挙げています。<2 いかに楽しいことでしょう。/主に感謝をささげることは/・・・ //5 主よ、あなたは/御業を喜び祝わせてくださいます。/・・・・・>、と。
ところで、主イエスは、神から遣わされた方として、やがて、神の許へ帰って行く、と言われます。そして、<34 あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」>、と。このお言葉の意味は、ご自分に依ってでなければ、神のみ許・「主イエスの行かれる所」に行くことができない、ということです。主イエスに反対し、主を神の子・キリストと告白し得ない人々には、神のみ許への道は閉ざされているのです。しかし、私たちは主イエスを信じ、主イエスをキリストと告白する歩みに入れられています。この歩みは、主イエスが共にいて下さり、また、「主イエスの行かれる所」へと導かれる歩みでもあります。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定