主イエスへの態度決定
説教要旨(3月 4日 朝礼拝)
詩編 第119編129 ~ 136節
ヨハネによる福音書 第7章45 ~ 52節
倉橋康夫
本日は、富士見町教会の創立記念日を覚える礼拝です。1887年3月6日が記念日で、明後日が、創立満125周年となります。そのことを覚えながら、本日の聖書個所からのメッセージを、共に聴きたいと思います。
ヨハネ福音書の第7章の最後の段落です。前段で、群衆の間に生じた対立・分争が、舞台を変えて、今朝の段落に引き継がれています。主イエスを巡る対立、つまり、イエスとは誰かという問題は、ヨハネ福音書において繰り返し扱われるテーマです。今日の場面は、祭司長、ファリサイ派たちに、イエスを捕らえて来るようにと命じられた下役たち(神殿警備員)が、手ぶらで帰って来たところです。そこで、<45 さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」>、と詰問します。
ところが、それに対して、下役たちは、<「今まで、あの人のように話した人はいません」>、と返答するのです。彼らは、主イエスの話されたことに打たれ、捕らえることができなかったのです。主イエスの話されることは、常に、ご自身のメシア・救い主としての使命に関するものでした。つまり、主イエスの十字架に繋がるものであった、と言えるのです。それ故に、「話されたこと、即ちみ言葉」と表現したいと思います。40節、41節にも、主イエスの話されたこと・み言葉に出会って、主イエスについて、<あの預言者だ>とか、<この人はメシアだ>とか言った人たちがいたことが記されています。
主イエスの話されること・み言葉の前に立つ時に、私たち人間の内面に惹き起こされる事態を指し示しています。私たちが、主のみ言葉の前に虚心に立てば立つ程、み言葉は私たちの心の奥深くに飛び込んで来るのです。ここでは、主イエスが何を語られたかは問題にされていません。主イエスのみ言葉の威力が指し示されているのです。
下役たちの返答を聞いて、ファリサイ派の人々は、<「お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。・・・」>、と強く諫めます。第3章に、<1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。>、と記されています。彼は、人目をはばかって、夜中に、密かに主イエスを訪ねたのでした。本日の場面で、ニコデモは、主イエスに関して、精一杯の弁護を試みますが、直接に、「主イエスへの態度決定」をするに至っていません。主イエスを信じつつ、それを公にできない議員たちが多くいたようです。第12章に、<42 とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。>、と記されています。ニコデモも、そのような人々の1人でした。
しかしながら、このニコデモが、公然と主イエスの側に立つ者として、自分を人々に示す時が来ます。それは、主イエスの十字架に出会った時でした。第19章38節以下を見ると、主イエスの埋葬を、<アリマタヤのヨセフ>と<ニコデモ>が行ったことが分かります。弟子たちが皆逃げ去った中で、密かな弟子であった2人が、公然と主イエスの弟子であることを示したのです。主イエスの十字架の出来事との出会いが、彼らに最終的な態度決定を促しました。
併せて読んだ旧約聖書 詩編第119編に、<30 御言葉が開かれると光がさし出で/無知な者にも理解を与えます。>とあります。正に、神のみ言葉の威力を謳い挙げています。私たちは、み言葉によって、主の十字架と復活の出来事との出会いが与えられます。「主イエスへの態度決定」は、このみ言葉への集中如何にかかっています。富士見町教会の125年の歩みは、この「主イエスへの態度決定」を真実に為し得た信徒に支えられて、今日に至っているのです。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定