主イエスによって生きる
説教要旨(12月18日 朝礼拝)
レビ記 第17章13 ~ 14節
ヨハネによる福音書 第6章52 ~ 59節
倉橋康夫
ヨハネ福音書の本日の個所は、ユダヤ人たちが激しく議論し始めたことが冒頭にあります。主イエスが、ご自分の肉をパン・食べ物として与えるなどということは、不可能なことだ、と言うのです。
ところで、「わたしの肉を与える」(51節)、ということは、主イエスがご自身を犠牲になさる、ということに他なりません。けれども、それは決して、肉を放棄するということではなく、肉を持つ者、血を持つ者であり続けることにおける自己犠牲でした。真の人間となられた方としての、そして、人間であることにおいての自己犠牲だったのです。これが、主イエスが私たち人間の罪を、神に対して引き受けて下さった、という意味なのです。従って、主イエスが、わたしの肉を<世を生かすため>に与える、と言われるのは、主イエスの十字架の出来事を指しているのです。
扨て、ユダヤ人たちの戸惑いをよそに、主イエスは単刀直入に言われます。<53 ・・・ 「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内には命はない。54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。>、と。そして、何度も繰り返して、主イエスを食べよ、「人の子を食べよ」・「わたしを食べよ」、と言うのです。相手を食べることは、その相手を殺すことを前提とし、「血を飲む」ことも、相手の命を奪うことを前提とします。併せて読んだレビ記 第17章では、次のように言われています。<13 イスラエルの人々であれ、彼らのもとに寄留する者であれ、食用となる動物や鳥を捕獲したなら、血は注ぎ出して土を覆う。14 すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである。>、と。
ここには、血は命を象徴する、との考え方があります。そして、命は人間が自由にできるものではなく、神にお返しすべきものであることを示す行為として、<血は注ぎ出して土で覆う>ことが指示されているのです。しかし、主イエスは私を食べよ、とご自身を差し出しておられます。もし良かったら食べて下さい、というのではなく、私を食べよ、と迫っている、と言うべきです。これが、まことの食べ物、まことの飲み物なのだ、と言われます。しかし、主イエスを食べるとは、第一に、何よりも、主イエスを殺す、十字架につけるということです。
主イエスの十字架の出来事は、私たち人間によって殺されながら、ご自分を殺した人間の罪を償うという不思議な出来事です。この事実をしっかり噛み締めることがつまり、主イエスを食べるということです。ここで、主イエスを殺す自分の罪を深く実感すると共に、この主の十字架によって、永遠の命への道へと招かれている恵みを思う、ということです。その時、私たちは、主イエスの中に居ることになり、また、主も私たちの内に居て下さる、と言います。<56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、またわたしもいつもその人の内にいる。>、と。そのようにして、主イエスと私たちとは、堅く結ばれるのです。
今日の聖書個所を読む時、当然、私たちは聖餐を連想することができます。主イエスはご自身を指して、まことの食べ物、まことの飲み物といわれたことに基づいて、聖餐においてパンとぶどう液・ぶどう酒が用いられています。正に、そこで私たちは、主イエスの命が差し出されていることを受け止めます。悔い改めを新たにしつつ、しかも、そこに開かれた永遠の命への道に感謝するのです。このように、私たちは、主の十字架の出来事に堅く結びつけられて生きるのです。「主によって生きる」 神の恵みに深く触れ、感謝に溢れて、信仰の歩みを進めて参りましょう。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定