天への凱旋
説教要旨(11月 6日 朝礼拝 逝去者記念礼拝)
詩編 第118編22 ~ 25節
ヨハネの黙示録 第7章9 ~ 17節
倉橋康夫
本日は、富士見町教会員の逝去者を記念する礼拝です。逝去者を記念するとは、単に追悼(「死者の生前を偲んで、その死を悲しむこと」)をする、ということではありません。キリスト教では、死を「天への凱旋」と考えているからです。従って、「記念する」とは、この天への凱旋の列に加えられた人々を思い起こし、覚えることなのです。
扨て、本日の聖書個所のヨハネの黙示録 第7章には、天へと凱旋した人々の様子が描かれています。つまり、将来起こることを、先取りする形で見ているのです。そこには、全世界から主キリストを信じる者たちが集められています。彼らは、<白い衣を身に着け>ています。<白い衣>は、神のみ許にあることを意味します。この大群衆が、大声で叫びます。<「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と小羊のものである」>、と。<小羊>は、み子イエス・キリストのことで、犠牲の小羊を意味します。これは、信仰告白であり、また讃美でもあります。従って、次の11、12節は、神のみ座の周囲の、讃美と喜びに溢れた礼拝の様子が描かれます。ここには、白い衣を着た大群衆と玉座の周りの天使たちとが、呼応する形で、讃美・告白する場面が壮大に描かれているのです。
ここで、長老の1人が、この幻を見ているヨハネに向かって尋ねます。 <13 すると、長老の1人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか」>、と。しかし、それに答えることができるのは、長老自身でした。長老は、「彼らは大きな苦難を通らなければならなかったが、その道程において小羊の血を受け、その小羊の血が、彼らを神のみ許に迎えるために、その衣を白くしたのだ」、と告げます。キリスト者として生き抜こうとする時に、大きな苦難が伴ったのです。しかし、その困難との戦いを勝利に導いてくれるのは、小羊の血です。つまり、苦難と良く戦うということは、小羊の血・主イエスの十字架に堅く結ばれ続けることです。人間の内から、勝利する力が湧き出るのではありません。小羊の血が私たちを勝利に導くのです。真っ赤な小羊の血が、衣を真っ白にする、という逆説的な表現は、十字架の逆説・秘儀を指し示します。
併せて読んだ詩編 第118編で、次のように告げられています。<22 家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。>、と。家を建てる者が、役に立たないとし、捨ててしまった石が、その家にとってなくてはならない<隅の親石>となった、と言うのです。これは、主イエス・キリストがメシア・救い主ではないと看做されて、十字架で殺されたが、実はそれは神のご計画であって、父なる神はこの主イエスを復活させ、メシア・救い主となさったことを指しています。
主イエスを十字架につけたのは、人間の罪が惹き起こした出来事でした。然しながら、その背後には、神のご計画があったのです。それは、主が人間の罪を背負って死に、罪を清算して下さるということでした。つまり、み子の死が、人間に罪の赦しと命を与えるのです。人間にとってなくてはならない、救いです。真っ赤な小羊の血が、罪を洗い清めて衣を真っ白にする、という逆説がここにあります。ヨハネに対して、長老は答えます。<「彼らは大きな苦難を通って来た者で、小羊の血で洗って白くしたのである。>、と。
そして更に、天へと凱旋した者たちの神に仕える姿が示されています。それは、神を礼拝する姿です。そして、礼拝を妨げるものは、最早存在しないのです。そこでは、神ご自身が共に住まわれ・神との深い交わりに入れられ、全ての困難が取り除かれています。黙示録の著者ヨハネが見た、「天への凱旋」の先取りとしての幻です。神を礼拝する生活の光栄と喜びを知る者は、この幻を望み見つつ歩みます。既に逝去された人々と共に、天において、神を礼拝する場面に思いを至らせるのです。逝去者を記念するとは、この終末的希望を新しく確認することに他なりません。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定