主の真実によって
説教要旨(1月29日 朝礼拝)
詩編 第96編1~9節/
ヨハネによる福音書 第7章10 ~24節
倉橋康夫
主イエスは、秋の収穫感謝祭である、仮庵祭の最中に、エルサレム神殿の境内で、教え始められます。この主イエスの教えに対して、<ユダヤ人たちは驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう>、と不思議がります。この<ユダヤ人たち>とは、ユダヤ社会の指導者たちであり、ユダヤ教の専門家たちで、最高の律法教育を受けた人たちです。しかし、この驚きは、疑惑の驚きです。自分たちの尺度を超える故に、敵意と不審に満ちた驚きであって、教えそのもの、その内容に心を向けて受けた驚きではないのです。
そこで、主イエスは言われます。<16 イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。」>、と。主イエスの歩みの全てが、専ら父なる神のご意志に沿うものであることは、第5章で繰り返し語られていたことです。<この方(神)の御心を行おうとする者>とは、人間に求められることでもありますが、最終的には、主イエスご自身を意味すると思われます。
ところで、主イエスは、ご自身を父なる神と同じとしながらも、飽くまで、ただ神のみを中心とされます。遣わした方(父なる神)と遣わされた者(ご自分)とを峻別されるのです。それは、人間の姿を取って振る舞われる限りにおける、自己理解であり、自己抑制でした。
そこで、人間の目線、人間の側に立つ教えを語られます。<18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。>、と。自分の栄光・誉れを追い求める時、必ず、<不義>に陥る、ということです。この<不義>とは、「不正」(ルカ18 : 6)であり、真実の反対の「偽り」を意味します。それに対して、神が遣わし給うことを明確に自覚している者は、神の栄光のみを願うのです。神の求め給うこと、神の命じ給うことのみに心を向けます。そこには、自己を実現させようとする欲望は起こらず、その者は<真実な人>だ、といわれます。この「真実」は、「真理」(3 : 21)とも訳され、神の真実を意味します。私たちキリスト者・信仰者の歩みは、この神の真理・神の真実に結ばれて、進められます。
私たちは、「この世」に対して、神によって遣わされた者として立っています。それは、自分の栄光・栄誉を求めるのではなく、神に栄光を帰するために立っていることを意味します。併せて読んだ旧約聖書は、詩編の第96編の前半です。ここには、全てのものが、主なる神の栄光を褒め讃えよ、との呼びかけで溢れています。正に、神によって造られたもの全ての、あるべき姿です。
ところで、主イエスこそが、全き意味において、神に遣わされた者としての歩みを貫かれました。(フィリピ2 : 6 ~ 8 参照)全く不義・偽りなく、真実を持っている方は、主イエスのみです。もし、私たちが真実を求め得るとするならば、この主の真実以外にはありません。私たちは、「主の真実によって」生かされるのです。
主イエスは、群集に問いかけられます。<なぜ、わたしを殺そうとするのか。>、と。群集は、明確に答えることはできませんでした。しかし、この群集が、間もなく、主イエスを「十字架につけよ」と叫ぶことになるのです。世の論理、自分たちの願いや考えを優先させる時、主イエス・キリストは不要とされます。優れて今日的な問題である、と言えるでしょう。しかし、私たち、キリストの教会の歩みは、ただひたすらに、「主の真実によって」進められます。共に、この歩みを進んで参りましょう。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定