苦難と希望
説教要旨( 10月 23日)
イザヤ書 第8章11~15節
ペトロの手紙一 第3章13~17節
上田容功
ペトロの手紙一は、キリスト者の苦難と希望について語る手紙です。様々な試練に直面している信仰者に、キリストにある希望を指し示し、苦しみを耐え忍ぶようにと呼びかける励ましの手紙です。キリストの十字架と復活による救いに与っているのに、なぜ苦しみが続くのか。なぜ人々に憎まれるのか。神にあって真剣に生きていこうとするとき、周囲の人々から悪口を浴びせられ、反対に遭うものです。しかし、人が何と言おうとも、信仰者は決して打ち倒されることはない、とペトロの手紙は励ましの言葉を語るのです。なぜなら、「主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる」(12節)からです。神が見守っていてくださり、神が私たちの祈りを聞き上げてくださっているのです。
苦難の中にあるキリスト者に対して、14~15節において、2つのことが勧められています。「人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません」。「心の中でキリストを主とあがめなさい」。人を恐れる代わりに、キリストを主としなさい、神のみを畏れなさい、と語られています。「心の中でキリストを主とあがめなさい」というこの段落の中心聖句ともいうべき御言葉を、次の3つの言葉に着目しつつ、考えてみたいと思うのです。
まず始めの「主」という言葉は、旧約聖書では神に対する呼び名です。神がご自身をあらわされた名、それが「主」であります。神に対する呼び名である「主」が、新約聖書においては、イエスに対して用いられています。「イエスは主である」(Ⅰコリント12:3)という告白は、初代教会の信仰告白の一つであったと考えられています。「あがめる」という言葉は、他とは異なるものとする、ということです。キリストを主とあがめるとは、キリストを人間的な権威とは全く別のものとする、つまり、神とする、ということであります。さらにまた、キリストを主とあがめるのは、私たちの「心の中」においてなされるのです。心は目で見ることはできません。しかし、心は確かに私たちの中にあって、一人の人の人格の中心とも言うべき場所です。感じたり、決断したり、愛したりするところ、それが心です。そして、心は神に触れる場でもあると思うのです。耳で聞くことのできない神の語りかけを心で聞き、目に見えない神を心の目で見るのです。
このように、ペトロの手紙が説く「心の中でキリストを主とあがめる」とは、キリストに私という存在のすべてをご支配していただく、ということです。この世のものが支配するのではなく、主の十字架の恵みにご支配していただくのです。人の思いではなく神の思いが私たちの心を満たすとき、何とも言えない平安に包まれます。私たちは心をいつも神の恵みで満たしていただかないと、つい、この世の論理によって心が支配されてしまいます。目に見える世界に心が奪われ、目の前にいる人を恐れてしまうのです。人の目を必要以上に気にするとき、結局は、神あっての自分を生かすことができないではないでしょうか。しかし、イエス・キリストが私たちの主なのですから、人を恐れる必要はないのです。
私たち信仰者を生かしている「希望」について質問されるときでも、私たちは、人を恐れて自己弁護するのではなく、十字架の恵みを指し示します。相手の立場に立って、与えられた恵みを共有しようとするという暖かい思いやりを持って、キリストの十字架と復活によって与えられる希望へと人々を招くのです。神の恵みに満たされているからこそ、与えられた恵みを隣人と分かち合おうとし、神にご支配していただいているからこそ、人を恐れることなく、むしろ、自分に悪意を持っている人に対しても穏やかに接していく、そのような積極的な歩みへと導き出されているのです。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
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2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
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2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
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2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
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その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
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2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
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2011.09.11
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2011.09.18
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2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
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2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
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主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
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勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定