主イエスのもとへ
説教要旨(12月 4日 朝礼拝)
エレミヤ書 第36章33 ~ 34節
ヨハネによる福音書 第6章41 ~ 51節
倉橋康夫
主イエスが、<わたしが命のパンである。>(35節)、<わたしが天から降って来た>(38節)と言われたことについて、ユダヤ人たちの間に<つぶやき>が起こった、と記されています。<41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしが天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め>た、と。このつぶやきは、人々が主イエスの素姓を良く知っている、と思っていたためでした。しかし、それは、自分たちで捉えられる範囲内(「ヨセフの息子であること、その父と母を知っていること」)で知っているに過ぎませんでした。
しかし、これは、ここに登場する<ユダヤ人たち>だけの問題ではありません。主イエスを天から降って来た命のパンとして受け入れるかどうかは、私たち自身の問題でもあります。私たちが、自分で受け入れ得る枠を造って、その中に主イエスを閉じ込め、その範囲で主イエスを信じるということが、大いに起こり得ることだからです。そもそも、この<ユダヤ人たち>とは、民族としてのユダヤ人を意味するのではなく、主イエスを受け入れようとしない人々を指す、ヨハネ福音書に特有な「ヨハネ的言い方」なのです。
主イエスを受け入れるかどうかが問題なのです。主イエスを天からの命のパンと認めるかどうか、この主の許にのみ命がある、この主イエスによってしか生きる道はない、と私たちが決断するかどうかです。しかし、その際の決断は、自分たちの考え方や感じ方に頼って為し得るものではない、と主イエスは言われます。<44 わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。>、と。(37 ~ 40節参照)
ここには、私たちの信仰生活が、受け身的であることが示されています。神が私たちを選び、招いて、主イエスの許へと導いて下さっている、ということです。人は誰も、神の招き、導きなくして、主イエスを認めるに至り得ないのです。使徒パウロも、フィリピ書 第2章で、次のように言います。<13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。14 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。>、と。ここで、私たちは、神に向かって心を開くことが求められます。神から教えられる用意をすることです。
主イエスは、<45 預言の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。>、と指摘されます。併せて読んだ旧約聖書は、エレミヤ書 第31章33、34節です。そこには、神によって齎される、終末における恵みの事態が描かれています。<来るべき日に>、主なる神は<イスラエルの家>と改めて契約を結ばれる、と言われます。この<イスラエルの家>とは、新しくされたイスラエルの民・教会と考えて良いでしょう。その契約の内容は、<律法を彼らの胸に授け、彼らの心に記す>というのです。主なる神のみ旨を示す律法を、文字としてではなく主の民の胸の中、心の中に刻み込んで下さる、と言うのです。
私たちは、この日に向けて備えることが求められます。否、今既に私たちは、この神の恵みのみ業に自己を明け渡すことが求められている、と言うべきです。高ぶりを捨てて、謙虚に、神の示されることに思いを凝らすのです。<45 ・・・・・ 父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。>、と主イエスは言われるのです。その時、私たちは主イエスの許に近づくことになります。私たちは、主イエスを枠にはめ込んではなりません。私たちが主イエスを捉えるのではなく、神の導きに委ねて、「主イエスのもとへ」行く時、主イエスが私たちを迎え入れて下さるのです。そのようにして、主イエスの許に迎え入れられ、私たちはそこに永遠の命を見い出すのです。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定