生ける信仰
説教要旨(2月26日 朝礼拝)
出エジプト記 第17章1 ~ 7節
ヨハネによる福音書 第7章37 ~ 44節
倉橋康夫
仮庵祭で、7日間毎日行われる大切な儀式の1つに、「水注ぎ」というものがありました。祭司が、金の水差しに、シロアムの池から水を満たして来て、祭壇に注ぎかけるのです。特に、出エジプトの際、イスラエルの民が渇きに苦しんだ時、岩から水を出して下さった神のみ業を想起するものでした。併せて読んだ旧約聖書、出エジプト記 第17章に、イスラエルの民が渇きに堪えかねて、モーセに不平を述べて詰め寄った時、主なる神がモーセに<6 見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。>、指示されます。これによって、イスラエルの民は、激しい渇きから救われたのです。
この出エジプトの旅で与えられた、主なる神の助けを想起する、「水注ぎ」が行われるその場面で、主イエスは立ち上がって大声で語り出されました。<「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。>、と。必要な水を与えて下さる神への感謝を捧げているその場で、水が欲しい者は私の所に来なさい、と言われたのです。主イエスは、この祭りの高揚した只中で、力を込めて、渇いている人は私の所に来なさい、と呼びかけています。渇いていると思っている者が1人もいない、と思われる場において、敢えて「渇いている人は来なさい」と呼びかけるのは、「本当に渇いていないのか」との問いかけです。人々が自分で渇いていない、と思い込んでいるだけであって、実は、人々にとって深刻である筈の問いかけだったのです。この主の呼びかけに含まれる問いに耳を傾け、自分の内面にある渇きに気づかせられる時、この呼びかけは恵み溢れる招きとなります。
それでは、私たちの内面にある渇きとは何でしょうか。それは、満たされない思い、寂しさ、孤独感、不安、等々と表現することができるでしょう。主イエスは、それを癒すみ言葉とみ力を下さるに違いありません。けれども、主イエスが与えられる水は、その人の渇きを癒すに留まらず、更に多くの人々に与えられるべく、その人の内から流れ出る、と言われます。そして、それは、<“霊”>のことだ、と説明されます。<39 イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。>、と。この「霊」とは、「聖霊」を意味する、と受け止めて良いでしょう。
聖霊を受けて満たされた者は、更に、聖霊の実・稔りを内面から生み出させられる、ということです。それは、満たされたことの証しです。この「満たされる」とは、「救われる」ことを意味します。従って、救いに入れられた者の証しのことです。ここに、生ける水である聖霊を受けて、それに依って生きる信仰者の姿があります。
そして、更にここで、念を入れて、<イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかった>、と付け加えられています。つまり、「主イエスが栄光をお受けになってから齎される“霊”(聖霊)を意味する」、と言うのです。「主イエスが栄光を受けられてから」とは、十字架の死と復活を経て、天に挙げられてから、ということです。つまり、その時は、まだ主イエスの救いのみ業の成就に基づいて、聖霊が働いてはいなかった、ということです。聖霊降臨の出来事は、まだ起こっていなかったのです。
ですから、私たちの信仰が「生ける信仰」となっているかどうかは、この聖霊を受け、この聖霊に支えられ動かされる歩みになっているかどうかにかかっています。主イエス・キリストの罪の贖いによる救いと復活によって与えられた永遠の命に堅く結ばれた歩みとなっているか、ということです。このように、聖霊によって、根底において、存在の深みにおいて、慰められ満たされ、私たちは信仰の生活を送っているのです。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定