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どんな時も主を仰ぎ

説教要旨(4月26日 朝礼拝より)
ヨハネによる福音書 21:1-14
牧師 加藤英徳

 「さあ来て朝の食事をしなさい」イエス様は漁から戻って来た弟子たちに御語りになりました。
 不意に予測不能の事態に直面してしまうことがあります。そしてその先どうしたらよいのか考えられなくなってしまいその場から逃げ出したくなります。御言葉に登場した弟子達がそうでした。
 彼らはこの漁に出かける直前、復活されたイエス様に数回あっていました。そしてイエス様から「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」と命じられました。そしてイエス様から息を吹きかけられ聖霊を受け、世へと送り出されたのです。
 復活されたイエス様との出会いとそこで体験した一連の出来事は彼らに、「自分たちの後ろ盾にはイエス様が必ずおられる。その方からのお命じにこたえるのだからすべては必ず成功する」そんな確信を与えた事でしょう。にもかかわらずその直後に彼らが計画した漁は失敗したのです。
 足場の悪い小さな舟の上、それも暗闇での作業が全て無駄になった。その事実は彼らの肉体的な疲れを一層倍増させるのには十分でした。そしてそれ以上に、イエス様の御命令は何だったのかと、イエス様の御命令に対しての疑念を彼らの心に芽生えさせたのです。
 そんな時、岸から「舟の右側に網を打ちなさい」と声がします。彼らがその通りにしたところ、それまでの状況が嘘のように魚が捕れました。その瞬間、舟の上は疲れを忘れるほどの喜びに溢れ、彼らは大漁の事実に活気をとりもどしたことは想像に難くありません。一連の出来事の後、彼らは岸から網を打つよう指示した人物が復活されたイエス様その方だと知ることとなりました。
 あの人物がイエス様だと知ったその瞬間、ペトロは再会を喜ぶよりも、目の前で起こる出来事の成功・失敗が告げられていた御命令に対しての信頼を左右させている、そんな自らの内面を知らされることになりました。
 あの人物がイエス様だと分かった時、隠れることができない舟の上でペトロは隠していた心の内がすべて明らかにされ、しかも一番見られたくない人物に見られている事実を知らされたのです。だからペトロは彼の思いを彼以上にお見通しのイエス様から逃れるように急いで湖に飛び込んだのです。
 振り返ってみればペトロがこの時抱いた気持ちは、何も彼だけに特別の気持ちではありません。「イエス様と向き合っている」といいながら、周りで起こる出来事の方に気持ちが向き、いつの間にかにイエス様から目が離れ、別の何かだけを見てしまう私たちの中にもある気持ちです。
 そして私たちもそのような状態が明らかにされるとそこから逃げ出そうとするのです。その様子は神様との約束を破り木の実を食べそのことを隠そうと森に逃げたアダムとエバの時から変わるところがありません。
 イエス様は弟子たちの乗った舟を岸からご覧になっていたように、そんな私たちの姿を見ておられます。そのまなざしは明らかになった罪からにげだそうとしている私たちの姿を白日の下に明らかにし裁くためではありません。
 夜通しの漁を終え岸に戻ってきた弟子たちに何事もなかったように「さあ来て朝の食事をしなさい」とお語りになり彼らを食事の席に招かれたように、自らの罪に抗えずイエス様の前から逃げ見えないところに隠れようとする私たちをご自分の下に呼び戻すためです。イエス様は私たちをご自分の下に呼び集めるためいつも私たちを見ておられるのです。
 そのイエス様の呼びかけに応え、本来なら隠したい罪の姿を隠さずイエス様の前に差し出した時、私たちのためにイエス様が用意してくださるのは、あの恵みの食卓なのです。