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私を用いて働く主

説教要旨(10月18日 夕礼拝より)
ローマの信徒への手紙 15:14-21
牧師 藤盛勇紀

 「この手紙ではところどころかなり思い切って書きました」。この手紙で書いたことをパウロは振り返ります。同時に、自分の人生をも振り返ります。「こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました」。かつてキリスト者を迫害していた者がキリストに捕らえられ、キリストを宣べ伝える者とされた。パウロの自身の後半生です。
 「記憶を新たにしてもらおうと、・・・思い切って書きました」と言いますが、自分のことを記憶してもらいたいのではありません。スポーツ選手が「記録に残るよりも記憶に残る選手になりたい」と言うのを聞くことがあります。人間の願望の中でも、「自分を記憶してもらいたい。忘れられたくない」という欲求は極めて強いものです。人に覚えてもらわないと《私という存在とその事実》が消滅してしまうように思うからです。根本的に不安なのです。それは、自分の存在が何によって与えられ支えられているのかが分からないからです。人の記憶に残ることにしか自分の存在を委ねる所がない、神から離れた人間の憐れさです。
 ではパウロはどうか。自分はキリストに仕え、神のために働いたことを簡潔に述べますが、「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません」と言います。自分の人生、それは「私の」ではない。「キリストが」と言う。これがパウロの自己理解です。「私はこうして生きて働いた」という事実が確かにある。しかしそれは、「私が」ではなく、「キリストが」私通して「働かれたのだ」というのです。パウロは、キリスが生きて働かれたことだけを語ります。ガラテヤの信徒への手紙では、こうまで言いました、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(2:20)。明確にされていることは、私の人生の《主は誰か》、私の命の《主は誰か》です。
 パウロの人生は主なる神の手に取られた筆のようなものです。「弘法筆を選ばず」と言いますが、筆がその手から離れてしまえば、ただの毛の生えた棒です。存在の意味を失います。パウロの人生も「キリストのもの」とされ、キリストが彼を用いて働かれることによって、人生が命あるものとなり、存在の意味も満ち満ちたのです。
 「生きているのは、もはやわたしではありません」とは、ある意味自分が失われています。しかしパウロは失われたのではありません。正反対です。自分を捨ててかえって自分が満たされています。自分で自分を手放したから、彼の命は主の御手に取られてフルに用いられたのです。イエス様も言われました、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」。
 私たちは、自分の命と人生のために自分にしがみついて生きがちです。しかしそれは自分を失うことになります。私たちは自分の命の主ではありません。私を造り、命を与えてくださった方がおられます。その方に自分を委ねらるなら、私たちは生かされ用いられます。命の主の御手に取られた筆となるなら、存分に用いられて、この世というキャンバスに神の恵みと憐れみが、私たちを通して描き出されるのです。
 パウロがここで言う「神の恵み」とはそういうことです。「神から恵みをいただいて」と言いますが、それは「キリストがわたしを通して働かれた」ことなのです。神がこの私を通して働かれる。それほどの恵みがあるでしょうか。
 だからパウロは、自分の人生を振り返ると、ただ主の恵みの働きを伝えることだけが、語るべき人生の足跡となるのです。「キリストがわたしを用いて」なされたことだけ。それ以外は、人に覚えてもらう必要もない。私たちは、造り主なる神の御手に取られ、用いられてこそ、生きるのです。 
 

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