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初めであり終わりである方

説教要旨(4月5日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 10:1-4
牧師 藤盛勇紀

 「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています」。《彼ら》とはパウロの同胞のユダヤ人。パウロは、「わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証しします」と言います。神の律法と救いを追求するユダヤ人の熱心さは、現代でもよく知られています。
 ところが、その熱心さがなぜか悲哀を感じさせます。直前の9章で語られているように、《真の神も救いも求めなかった異邦人に救いが与えられた》のに、なぜか《熱心に神の義・救いを追求するユダヤ人は、それが得られないまま突っ走っている》。この何とも言いがたいコントラストが悲惨さ、悲哀を感じさせるのです。
 なぜこんなことになってしまうのか、パウロはこう言いました、「イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです」。そして今日の箇所で、「行いによって達せられる」と思い込むイスラエルの熱心さについて、こう言います。「この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません」。
 熱心さだけ見るならば、パウロ自身がまさにそうであったように、非の打ち所がない生き方にも現れる、徹底したものです。しかしそこには、決定的なことが欠けているのです。それは「正しい認識」だと。これは、知識の量や正確さのようなことではありません。言わば、知るべき事を知って、生きている(的を射ている)ことです。
 ユダヤ人が認識しはぐったものは何か。それは「キリストは律法の目標」だという事実です。「目標(テロス)」は、「終わり・目的」という意味でもあります。彼らは熱心に、追求して突っ走る。なのに、結局、何なのか、何のためなのか、走って行って、どこへ、何に行き着くのか。それを知らないままだというのです。そうした「的を射た認識」を持たないままひたすら熱心に、真剣に、自分で救いや目標を定めて、それに向かって走ってしまっていることです。それで、「自分の義を求めようとして」と言われるわけです。
 「目標」は「終わり」であり「目的」です。本当の「目的」は同時に「原点」でもあり「始まり」でもあります。「私たちは、どこから来たのか、何によって生まれ、何に立ち、何に向かって生き、結局、何なのか」、それは、全てつながっている一つのことです。私たちの命、生きることすべてに関わり、すべてにおいて根拠となるもの。だから生きる意味でもあるのです。
 ヨハネの黙示録に、キリストは「アルファでありオメガ」「初めであり、終わりである」という言葉が何度か出てきます。ユダヤ人の熱心は、「初めであり、終わりである」「テロス」としてのキリストを知らない。そこに真の悲惨があります。
 日本人も、勤勉だとか、誠実だとか、真面目だとか、そうしたことを重んじます。しかし、それによっては、何のために生きているのかは分かりません。肝心なことが決定的に欠けているのです。「テロス」が無いのです。この「的外れ」を、聖書で「罪」と言うのです。
 キリストは「初めであり、終わりである」。キリストが私たちの「目的」であり「原点」でもあるお方です。ここから世界を見、人間を見、自分をも見るのです。世界史をBC(Before Christ)とAD(Anno Domini主と共に)と表記します。キリストという原点から歴史の意味を知ろうとするのです。それは人間観・人生観にもなります。私たちの人生にとってキリストが原点。神の言であり命であり愛であり、神ご自身であるキリストによって、私たちの命は始まり、意味を与えられ、支えられ、死においても保たれ、完成され、満たされます。
 パウロが言う「深い認識」とは、そうした新しい命の源泉、全ての原点であり目標であり羅針盤であるキリストなのです。

説教一覧(2020年度)

2020.4.5
初めであり終わりである方
2020.4.12
主の言葉を思い出せ
2020.4.19
主を知って生きる
2020.4.26
どんな時も主を仰ぎ
2020.5.3
美しい足
2020.5.10
祭司の務め
2020.5.17
キリストの言葉を聞く
2020.5.24
私も日本人ですが
2020.5.31
永遠にあなた方と共に
2020.6.7
彼らの罪が世の富に
2020.6.14
新たに生まれる
2020.6.21
野生のオリーブ
2020.6.28
秘められた計画を知る
2020.7.5
神の富と知恵も深さ
2020.7.12
新しい時代のはじまり
2020.7.20
この世に倣わず
2020.7.26
信仰の度合いに応じて
2020.8.2
縦の愛、横の愛
2020.8.9
命のパンをいただく
2020.8.16
平和へのもう一歩
2020.8.23
自由の由来
2020.8.30
今という時を知る
2020.9.6
生きるにしても死ぬにしても
2020.9.13
神の国は義と平和と喜び
2020.9.20
隣人を喜ばそう
2020.9.27
敗北から
2020.10.4
希望の源
2020.10.11 朝礼拝
わたしがここにおります
2020.10.11 夕礼拝
門は開かれた
2020.10.18
私を用いて働く主
2020.10.25
終わりを目指して
2020.11.1
旅立つ者として生きる
2020.11.8
ふさわしい実を結べ
2020.11.15
主にある挨拶
2020.11.22
平和の源である神
2020.11.29
あなたを強める神
2020.12.6
慈愛に満ちた神
2020.12.13
神の御前に立つ者
2020.12.20
暗闇を照らす光
2020.12.27
神に希望をかける者
2021.1.3
私たちの誇り
2021.1.10
生き返り、見つかった
2021.1.17
『否』でなく『然り』のみ
2021.1.24
行き違いを越えて
2021.1.31
赦しと力
2021.2.7
勝利の行進
2021.2.14
主の導き
2021.2.21
あなた方はキリストの手紙
2021.2.28
文字は殺し、霊は生かす
2021.3.7
顔の覆いを取り除け
2021.3.14
雪のように白く
2021.3.21
神の輝きを見よ
2021.3.28
この土の器にも