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旅立つ者として生きる

説教要旨(11月1日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 16:1-2
牧師 藤盛勇紀

 パウロは今コリントでこの手紙を記していますが、コリントにいる「ケンクレアイの教会の奉仕者」フェベをローマの教会に紹介します。ケンクレアイは大都市コリントの南東、先日大地震があったエーゲ海に開けた港町です。パウロも大伝道旅行の際、この港にやって来て、この港町の教会のフェベが、パウロをもてなし助けたのです。「港」は旅に深く関わります。現代では空港かターミナル駅のように、《人間は旅人なのだ》と知らされる場です。キリスト者の生き方には、地の果てに向かうようなところがありますが、人間は誰しも旅人的です。
 今日は「逝去者記念礼拝」としても献げています。全ての人間は誰かの遺族です。それぞれ思い起こす人があるでしょう。しかし、礼拝は思い出に浸る時ではなく、私たちに命の息を与え、引き取られる神に向かう時であり、神の命の交わりに与る時です。先人を思い起こしながらも、私たちが行くべき先を見る時です。いずれ私たちも行く神のもとを見上げます。私たちは神から遣わされた旅の途上にいます。その意味で礼拝は、港かターミナル駅のようです。それぞれの生活からここに帰って来て、そして遙か彼方を目指す旅に出て行くのです。
 ケンクレアイのような港町では、人生が旅だということを知らされるでしょう。信仰の父アブラハムはまさに旅人でした。主なる神がアブラハムを旅人にしたのです。神の言葉に従って旅に出る姿は、土地に執着する人間には隠されている、人間の本来の姿です。フェベは、そうした旅人の援助者でした。日本人は定住的な民族だからか、どうも旅人や外から来た人を迎えることを苦手としています。キリスト者も、教会生活が長くなると、一定の交わりが居心地が良くなって、親しい交わりに留まりたくなってしまいます。《アブラハムの子》であるより、土着的に生きたくなるのです。
 パウロはそうした危機を知っています。だから「聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください」と勧めた上で、フェベを送り出そうとするのです。
 ふつうの旅なら不安はありませんが、パウロが「イスパニアに行く」(15:24)と言った時の「行く」という言葉のように、「行ってしまう、去ってしまう」というニュアンスがあります。キリスト者の旅は、元に帰ることのない、振り返らない旅です。
 預言者たちは「立ち帰れ」と言いましたが、「元の所に帰れ」ではありません。神は「私に立ち帰れ」と言われます。神から離れ、失われている人間への、神の招きです。《行き先不明》の旅人が、神の招きによって、《行くべき先を知った旅人》となります。
 パウロはフェベをローマに送り出します。未知の世界ですが、「行く先」にはキリストのからだなる教会があり、「地の果て」「終わり」には、キリストがおられます。パウロはフェベを不安な旅に送り出すのではなく、《キリストへ向けて送り出す》のです。だからローマの信徒たちに対して、「聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ」と勧めるのです。「聖なる者」とは清く正しい者ではなく、「主のもの」として取り分けられ区別されている者のことです。
 旅人の援助者であるフェベが、ローマの教会に迎え入れられます。こうして、主に結ばれた者として互いに仕え合うことによって、教会はこの世に、神の民・神の国を映し出すのです。一人ひとりはいずれ、それぞれに人生の終わりを迎えます。しかし何の心配も要りません。旅立つ時はそれぞれですが、目覚めた時は主のもとです。そこには主とその民の再会もあります。完全な慰めと喜びが満たされる主のもとを目指して私たちも旅立ち、互いに旅行く者として仕え合いたいと思います。
 

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