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新たに生まれる

説教要旨(6月14日 朝礼拝より)
ヨハネによる福音書 3:1-15
牧師 加藤英徳

 「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。イエス様のもとを訪れたニコデモが聞きたかったこと、それはどのようにすれば神様から永遠の命を与えられるかであり神の国に入れるのかです。その問いにイエス様は先ほどのようにお答えになります。
ところで「新たに生まれる」とはどういうことでしょう。信じている方について学び、その知識が新たになった状態を「新たに生まれた」といわれると妙に納得してしまうものです。
ニコデモがそうでした。彼らファリサイ派の人々にとって、聖書に記されている律法は一字一句完全に守るべきであり、彼らはそのために日々、律法と向き合いその理解を完璧なものとするため研究を重ねていたのです。
そんなニコデモにとって目の前にいるイエス様は彼らの知らない何かを知っている人物に思えたのかもしれません。だから彼はイエス様を「ラビ」と呼び「あなたは神のもとから来た教師」と言ったのです。
そのニコデモにイエス様は、これまで彼が最も大切と思っていた知識を得ようとする律法との向き合い方を手放すようにお告げになります。
そうではなく律法を通して示されている御言葉の内容が、誰でもない自らに対して告げられている事として向き合うことが「新たに生まれる」ことなのだとお告げになったのです。
 これまでを手放して新たに向き合う。それは相当の痛みを伴います。それは私たちの持っている常識に照らし合わせても当然理解できる事柄です。だから彼は「どうしてできるだろうか」と言ったのです。
確かに自分一人で行うなら、当然のように痛みを感じるはずです。痛みのためにそこから動けなくなることも考えられます。
ですが神様と共が共におられるならそれは可能です。なぜなら神様が私たちにお示しになる事柄はいつも私たちの常識をはるかに超えているからです。
聖書の御言葉を振り返るなら、そこで私たちはそんな神様の常識をはるかに超えたお姿と繰り返し出会うことができます。
あの出エジプトの出来事はモーセの誕生からしてそうでした。過越しの出来事もそうです。葦の海、雲の柱にシナイ山での出来事等、数多くの常識をはるかに超えた神様の御計画が繰り返し示されています。
そして私たちにするなら御子イエス様のお誕生がそうです。
神様につくられたにもかかわらずその神様と向き合おうともしない私たちに、改めて神様と向き合うようにしてくださるため、神様はご自分の独り子イエス様をこの世に遣わしてくださったのです。そしてその方を十字架に架けて私たちの罪を引き受けさせられたのです。
独り子を私たちのために十字架につける。そして3日後に甦ったお姿を示してくださった。どれも私たちの常識では到底理解できない話です。ですが神様はそんな私たちの常識を超えて私たちに働きかけてくださるのです。なぜそうされるのか。
それは私たち一人一人と御自分との関係を築くためにです。そのためにはご自分の独り子も十字架におかけになるのです。
それほどまでの事をして私たちに働き替えてくださる神様の御計画は、まさに私たちには予想もできない、どこからきてどこに抜けていくのかわからない思いのままにふく風そのものです。
風は目には見えません。ですが私たちが風を感じるとき、そこに風は確実に存在しています。それと同じように、この方もいつも私たちと共におられます。そして私たちがこの方を感じるとき私たちに働いてくださいます。その方が共にいる。だから私たちは自分にはできないとあきらめるのではなく共に御言葉と向き合うよう示されるのです。