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秘められた計画を知る

説教要旨(6月28日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 11:25-32
牧師 藤盛勇紀

 神について、救いについて、恵みについて、私たちは自分なりの知恵や考えや思いの射程距離内で考えてしまいがちです。小さな器で量るので、小さな事に思い煩って一杯一杯になり、小さな事が我慢ならず、赦すことができず、不平や不満や怒りで、すぐに一杯になってしまいます。
 そうならないように、「秘められた計画をぜひ知ってもらいたい」とパウロは言います。「秘められた計画」は「奥義」とも訳されます。奥義といえば、ふつうは奥深い所まで達することのできる人だけに示される秘められたものですが、ここで言う奥義は、誰にでも開かれ、与えられるもの、しかも奥の院のような所ではなく、広い世界です。それは、私たちの救いと真の命のために人となられた神・イエスに結ばれて見えてくる新しい事実であり広い世界なのです。
 このキリストに現された恵みからイスラエルを見るならば、あの《イスラエルの頑なさ》にさえ深い意味があり、神のご計画があったと分かってきます。「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです」。
 頑なにされたイスラエルの不思議な存在の意味をパウロは語っています。頑なになったイスラエルはもうダメだ、処置なしだというのではなく、「異邦人全体が救いに達するまで」不思議にも、頑なになっても存在し続けるのです。「福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています」。
 イスラエルは今や神に敵対している。ところが、この《神の敵》は、切り捨てられて滅ぼされるのではなく、むしろ神の憐れみが現されて福音が世界に広がるために意味ある役割を与えられ、神に愛されているのです。
 ここでは、パウロ自身の回心の経験も自覚されているのでしょう。かつてはキリストを拒絶し、教会を迫害して絶滅させようとした。その絶望的な頑なさの真只中で、突然キリストと出会って180度回転させられました。「回心」とは心を入れ替えることではなく、神によって回転させられ、翻らされることです。そこに、全く新しい世界が見えて、不思議な神のご意志があることを知って、パウロ自身驚いているのです。
 キリストに結ばれて見るならば、自分の存在の意味が変わり、人生が変わります。世界が変わります。暗いと思っていた世界が、実は真の光のある世界だと分かる。「こんな世界にどんな希望があるのか」と思っていたけれど、確かな希望があることが分かる。結局は死ぬ人生、どんな意味があるのかと思っていたが、私も使命があって生かされていることが分かる。「意味など無い」と思っていたことは、自分勝手な独り決め、思い違いだったと分かるのです。
 「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだった」。これは不思議な希望です。そして神のご計画への絶大な信頼です。「全ての人を憐れむために、全ての人を不従順にするなんて、おかしいじゃないか」と、人間は口を尖らせ、神を糾弾します。私たち人間の不従順、不信仰は、救いようがありません。それなのに神は、神に敵対する不従順、不信仰、不義、罪、それを全てご自分の責任において、十字架において引き受けてしまわれました。あの十字架が転換点です。あの十字架につけられたお方が、翻りの場なのです。
 神は、私たちが無意味の中に沈んで滅ぶのでなく、憐れまれ愛され、使命を帯びた者として生かそうとしておられます。その奥義を、私たちの人生を通してなお深く遠く知って行き、味わって行くのです。奥義は、いずれ到達する点ではなく、むしろ新しい命のスタートなのです。