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神無き死

説教要旨(1月15日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 22:39-46
牧師 藤盛勇紀

 主イエスが逮捕される直前、オリーブ山のゲツセマネの園で祈られた、有名な場面です。死を目前にした孤独な苦闘の祈りの姿が記されています。主は弟子たちに、「誘惑に陥らぬよう、起きて(=立ち上がって)祈っていなさい」と言われました。
 誘惑とは何でしょうか。キリスト者は、「主の祈り」の中で「試みに遭わせず」つまり「誘惑にあわせないでください」と毎日祈っています。もし、そう祈ることさえなくなってしまったら、それは誘惑に負けています。祈ることもない「神無し」の生き方へと私たちを引っ張る、あやゆる力や存在が誘惑です。
 「神様無しに生きる」と聞くと、それは気楽な生き方ではないかと思われるかも知れません。「神などいなくても、困ることもない」と言われそうです。しかし、「では本当に、神無しで死ねるか」と問われたら、不安になる人は少なくないはずです。
 「神無しでも何も困らない」。それは、罪によって倒錯し転倒した人間の姿です。何が上なのかが分からない。誰が主なのかも分からない。自分が自分の主人だと思い込んでいる。だから、目覚めて起きているのでなければ、どこまでも転がって行って、落ちてしまいます。
 その本当の悲惨が、もだえ苦しむ主のお姿に現されています。誰でも、死ぬのは怖いし、不安だと思っています。しかし、誰も死を経験した人はいません。死のことを考え想像したりして、恐れたり不安になったりしますが、死そのものを味わった人はいない。だから、死の本当の恐ろしさなど、結局誰も知らないのです。唯一の例外は主イエスです。ルターは、「イエスこそ本当に死を恐れた方」だと言いました。
 だから昔からこんなことも言われてきました。「死を恐れず毒杯を受け、従容として死に赴いたソクラテスなどと比べると、イエスの恐れようは何だ」。あるいは、「あまたの殉教者たちの方が、見事な死だったではないか」と。たしかに英雄的な死というものがあります。それと比べると、死を目前にして苦しみもだえる主のお姿は、惨めだと言われても仕方ない面があります。
 しかし、主はそれほどに、誰よりも深く死を恐れたのです。そして、十字架につけられ、想像を絶する苦しみの果てに、「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになられたのですか」と、神に見捨てられた者の絶望の叫びを上げて息を引き取られました。イエス様の死も、まったく英雄的ではありませんでした。全ての弟子たちに見捨てられ、惨めなお姿をさらしたのです。まさに「罪人の死」「神に呪われた者、神に見捨てられた者」として、「神無き死」を死なれたのです。
 主イエスの死は、唯一の本当の死、真の罪人の死だったのです。罪人に下されるべき本当の神の怒りと裁きが下された罪人は、主イエス以外にはいないのです。
 このお方が本当の恐れと苦悩の祈りをされて、そのように死なれたから、私たちには、もうあのような死は無くなったのです。たとえ殉教者でも、もうイエス様が苦しまれたように苦しむことはできないのです。
 「神無き死」は、罪無き神の御子だけが経験なさいました。そして、本来は私たちが転落して落ちて行くべき所に、主はただ一人で行ってしまわれたのです。弟子たちも結局、主と共に目を覚ましていることができませんでした。
 私たちは、主が赴かれる神の裁きの死の道を、共に行くことはできないのです。主は私たちを、後ろ手に守るようにして、たった一人で死に行かれます。
 罪人として神無き死を死なれた神の独り子イエス、このお方に結ばれる者にとっては、もはや「死」は滅びの死ではありません。私たちは、滅びへでなく、命へと立ち上がる(=復活する)のです。
 

説教一覧(2016年度)

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