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あなた方の間に主の平和

説教要旨(11月25日 朝礼拝より)
テサロニケの信徒への手紙一 5:12-24
牧師 藤盛勇紀

 いきなり命令形の連続ですが、パウロが命じるのは、「できるから」なのです。直前にも、「あなたがたは、現にそうしてるように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい」(11)とあります。すでに私たちが与っているキリストにある恵みと祝福が語られて、「だから私たちはこのように生きられる」という勧めと励ましが、命令の形になるのです。「(主は)真実で、必ずそのようにしてくださいます」ともあります。主がしてくださる、だからこその命令です。
 パウロはまず、「あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい」と言います。端的に言って、いわゆる長老やお年寄りを重んじ敬いなさい、というのです。レビ記に「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」(19:32)とあります。一般的な「敬老」の精神とは違いますが、関係はあります。20世紀から21世紀、世界は激しく変動し価値観もガラッと変わり、ジェネレーション・ギャップが問題となり、最近は世代間戦争とまで言われます。社会の構造が変わり、年長者やお年寄りの位置や意味が失われつつあります。昔は経験者に聞かなければ分からなかったことも、インターネットでたいていのことは分かります。「経験」や「忍耐」というものが価値を失っています。
 しかし、パウロが命じていることは忍耐のいることです。「すべての人に対して忍耐強く」と言うのです。なぜ忍耐しなければいけないのか。この問題は信仰の問題でもあります。先月聖イグナチオ教会を訪ねた際、英隆一朗神父から秘跡(サクラメント)についてお話を聞きました。カトリック教会は、見える形の客観的な恵みである秘跡を重んじます。それに対しプロテスタント教会は、キリストと人との直接的な交わり、垂直関係を重視します。それによって、水平次元、人間的な次元である経験とか歴史が軽んじられる傾向がありました。
 しかし、神は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」です。神は人間と歴史を経験なさるお方なのです。アブラハムの人生、イサク、ヤコブの人生を共に歩まれ、昨日も今日もとこしえに変わらないお方、アルファでありオメガである方です。
 その方が2千年前、イエスという一人の人間としてお生まれになり、約30年間無名の一青年として歩まれ、人間を実地に経験されたのです。このお方から私たちに注がれた聖霊において、今も神は私たち人間を経験しておられます。私たちの人生を通して時間を経験し、歴史を経験されるのです。私たちは失敗も経験しますが、それにも意味があると知ります。「こんな経験ないほうがよい」と思うけれども、しかしそれは必要だと気づくのです。時間の中で私たちは喜怒哀楽を知ります。「悲しむ者は幸いだ、その人は慰められる。貧しい者は幸いだ、神の国はその人たちのものだ」と主が言われたみ言葉の意味を味わうのです。悲しみを知らずに喜びが分かることはない、失望は希望への入り口だと分かる。
 パウロがまず、いわゆる長老を敬うことを求めたのは、神とその恵みを経験することのすばらしさ、ありがたさが分かるからです。そして「忍耐」は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」に続きます。「喜ぶ」だけなら自分だけのことに留まります。しかし、祈りが、上を見上げさせます。神から来るものを見させます。だから祈りは、感謝となるのです。「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。神の望みは、「キリストにおいて」私たちが「主と共に生きるようになる」(10)ことなのです。