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私があなたと共に行く

説教要旨(4月21日 イースター礼拝より)
ヨハネによる福音書 20:19-23
牧師 藤盛勇紀

 「その日、すなわち週の初めの日」、この日曜日の2日前の金曜日、エルサレムでイエス様の処刑が行われました。安息日(土曜日)が明けた日曜の朝、二人の女性がイエスの墓に行ったのですが、厳重に警備されていたはずの墓は空っぽ。しかも女性たちは復活したイエスに出会ったというのです。この不思議な話がエルサレムを駆け巡りました。イエスの遺体はどうなってしまったのか。復活?まさか。ユダヤ人の間ではこの話題で持ち切りです。一昨日、エルサレムの大勢の群衆は「十字架につけろ!」の大合唱をしたばかりです。ちょうど過越祭の時ということもあって、興奮さめやらぬ状態だったでしょう。
 イエス様の弟子たちにとっては、全幅の信頼をもって従っていたあの方が、全く思いがけず悲惨な最期を遂げた。あの日からわずか二日。弟子たちはまだ激しく動揺しています。「俺たちも捕まるのか」と不安も募ります。イエス様が逮捕されたあの「最後の晩餐」の夜、ユダの裏切りによって数百人の人たちに一気に取り囲まれ、弟子たちは怖くなってイエスを見捨てて雲隠れ。それで、「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」。
 彼らは恐れと不安に震えています。何より、主を裏切った罪責感でいっぱいだったでしょう。また、ユダヤ人にとっては、木にかけられた者は「呪われた者」。イエス様は呪われた者だったというのか? 弟子たちはもう、何が何だか分からない。
 ところが、「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた」というのです。「平和(平安)」は《シャローム》。ふだんの挨拶の言葉です。イエス様はいつもと同じように「平安あれ」と言われた。ただ、いつもと違うことがあった。イエス様は「手とわき腹をお見せになった」のです。十字架に釘付けされ、槍でわき腹を刺されたその傷です。それは、完全に死んだ人の傷でした。
 《私は確かに十字架について死んだのだ。それであなたの罪の償いは完全に終わった。あなたが神様に対して負っていた罪の負債の支払いは、私の血、私の命によって完全に支払い済みとなった。あなたは神の前に立つ時に、良心のとがめを感じたり、躊躇しなければならないようなことは、もう一切なくなったのだ。だから、安心しなさい。平安があるように》。
 弟子たちは「主を見て喜んだ」。イエス様の傷は、まぎれもなく死んだ人の傷です。しかし、主は生きておられる。
 こんな聖書の証言は「ウソ」か「作り話」でしょうか? しかし、弟子たちは皆この証言のために殉教します。十二弟子だけではなく、他の復活の証人たちも皆、命をかけて「イエスは復活して、いま生きておられる」と証言し、迫害を受け、命を奪われるのです。しかし、主は生きておられるとの証言を翻した者は一人もいません。
 イエス様の復活それ自体は、合理的に理解することのできない霊的事実、信仰的事実です。しかし、復活のイエスに出会った人たちの《その証言は真実である》とするのが、最も合理的な判断でしょう。
 イエス様は弟子たちに言われます。「平安あれ。私もあなた方を遣わす」。そして「息を吹きかけ」られました。主ご自身の霊、聖霊です。イエス様は逮捕される直前の説教で、聖霊を与える約束をなさいました。そして、聖霊は「永遠にあなたがたと一緒」なのだと言われました。復活のイエス様は弟子たちに命の霊を注いで、《永遠に主の命に結ばれた者》としてくださいました。
 《私はあなた方を遣わすが、私が共に生き、共に行く。あなたの命はもはや生きて死ぬ命ではなく、死んでいたのに生きる命、あなたの人生は、私の命を生きる人生だ》。
 この主と共に生き、共に行く命が始まったのです。