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恵みは満ちあふれる

説教要旨(8月18日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 5:17-21
牧師 藤盛勇紀

 この5章の後半でパウロは、「アダムとキリスト」によって人間を二つに分けます。アダムに代表される生まれながらの自然の人間、そしてキリストによって新しい命に生きる人間。この両者でいったい何が違うのか。ここでは、「支配」ということです。
 人間が死に支配されているという現実についてはほとんど説明は要らないでしょう。人間だけが、生きていながら死んでいる、ということがあります。人間はただの生物として生きているのではないことも明らかです。
 6章の最後に「罪が支払う報酬は死です」との有名な言葉があります。今日の箇所にも「一人の人の罪によって、…死が支配するようになった」、「罪が死によって支配していたように」とあります。「死」の問題は、「罪」からしか解けないのです。罪とは、命の主なる神との「関係の破壊」「関係の破れ」。関係が切れていること。もし、罪が解決されないまま永遠に生きることになったら、それは絶望的ではないでしょうか。聖書は、「死のとげは罪」だとも言います。「死のとげ」が刺さったままで生き続けることには耐えられないのです。
 ところが聖書はこう言います。「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです」。
 「支配」は、キリストによって全く転換したのだ、というのです。神と関係が切れてしまっているために死に支配された人間が、キリストによって死を「支配するようになる」という《大転換》です。
 人間の最大最後の問題である「死の支配」を、避けたり逃れたりするだけでなく、逆に「支配するようになる」というのです。とは言っても、私たち自身の力でねじ伏せるのではありません。「神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き」とあるように、罪人である私たちのために死んでくださったキリストの恵みに生きることに他なりません。キリストによって、神の命に生きるのです。
 5章の最初にこうありました。「わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており」。キリストによって、すでに私たちは神との間に平和を得ていると。これは、すでに「死と滅びの問題は解決済みだ」ということです。命の関係の破れは赦されて覆われ、死んで滅ぶしかない私たちが、死ではなくて、永遠の命と祝福のもとに置かれているというのです。
 こうして、罪と死の支配から解き放たれ、命の主である神との間に平和・平安がある。自ら神との関係を破壊し、破綻させながら、それでもいい気になって生きている人間に、神が歩み寄ってくださって、最も尊い独り子を差し出すという、ありえない、おかしな、圧倒的な恵みを注いでくださっているからです。
 イエス様は言われました、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」。本当に恐れるべき方との間の分裂問題がすでに赦されて、解決されている。であるなら、限りあるこの世界での分裂問題は、恐るに足りません。
 私たちの行く先はもう死も滅びでもない。ならば、根本的に平安です。どこでも平和があります。意味をもち、希望を持って、耐えることができ、その場で責任を負って生きるのです。罪がいかに深い悲惨を現しているとしても、キリストにある恵みは、極端に圧倒的だからです。「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」。恵みによる命は、罪による死とは比べものにならない、圧倒的な、破格の恵みなのです。