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今週の説教

時が迫っているから

説教要旨(10月13日 朝礼拝より)
ヨハネの黙示録 1:1-8
牧師 藤盛勇紀

 ヨハネの黙示録は「難しい書物」「破滅的な終末のイメージ」といった印象があるかと思います。「黙示録」と訳されている言葉は「啓示」という意味で、覆われていたものが啓かれ示されたもの。神がキリストにおいてご自身を示され、キリストが天使を遣わしてヨハネに記させ(1:1)、試練の中にある者たちに語られた言葉です。これが書かれた時期は1世紀終わり、苛烈な迫害が行われた時代です。不思議な幻やシンボルに満ちていて、破滅的なイメージもあるのは、そうした時代背景も理由の一つでしょう。また、謎に満ちたミステリー的な魅力が、「予言の書」として解釈しようとする人々を惹きつけるところもあります。
 しかし、黙示録は《神の啓示》ですから、「預言」ではあっても、将来起こることを言い当てるという意味の「予言」ではありません。私たちは将来を予見することはできません。神は生きておられる方ですから、私たちはこのお方と交わり、信頼をもって聴きながら、終わりを目指して生きて行くのです。「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである」とあります。この書は、キリスト者たちの礼拝・集会の中で読まれ聞かれるべきものとして書かれています。おそらく、全体が一挙に読まれ、これを聞いた初代のキリスト者たちは特別な解説などなしに理解したと思われます。文字通り命がけの礼拝の中で、信者たちを励まし、慰め、力を与え続けたのです。
 なぜこの書にそのような力があるのか。それは、これが神の《啓示》だからです。人が本心で何を考えているのか、その人自身が打ち明けてくれなければ分かりません。啓示は、神ご自身がその御心、御計画を《打ち明けられた》ことですから、人間が考えても決して分かりません。いわば神の打ち明け話ですから、思いもしなかった不思議さがあり、「そうだったのか」と慰められ、「ここまで考えてしてくださっていたのか」と励まされ、力になるのです。
 そのような方に信頼しつつこの書を読むならば、単に難解な書などではなく、慰めと励ましと希望に満ちた書物となり、意外と、親しみを覚える言葉に満ちていることにも気づくはずです。
 「地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように」。皇帝崇拝が強要され、キリスト者たちが殺されていった時代、この言葉を聞いて主を礼拝した民がどれほど励まされたことでしょうか。この黙示録も、まさに命の書なのです。
 黙示録に殉教者たちのことが出てきます。これまでの2千年の歴史の中にも証しが満ちています。過酷な時代、何がなくとも何を持っていなくても、死の時も、「ただあなたを信頼します」と生きる者を、主は生きて支えてくださっています。この方は、「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方」、その方がこう言われます、「わたしはアルファであり、オメガである」。あなたを存在させ、生かし導き、そして終わらせる、つまり完成させ、成就させ、実現させ、全てを満たされるのです。
 「時が迫っている」とあります。《時》はカイロス。「すぐにでも起こるはずのこと」とは、間を置かず直ぐではなく、《時》が来たなら確実に起こるという意味です。言い換えれば、神は私たちのために御計画を持っておられるので、確実にその成就・完成をもたらし、実現してくださるのです。だから、生きる時にも死ぬ時にも、私たちが聞くべきお方はこのお方。この方の打ち明け話が啓示です。だから、慰めと力に満ちている慕わしい言葉なのです。