ホーム | 説教 | 説教(2019年度) | 第二のスタート

第二のスタート

説教要旨(8月25日 朝礼拝より)
ヨナ書 3:1-10
伝道師 杉山悠世

 主なる神は、最初にヨナに語りかけた時と同じ言葉をヨナにかけられます。3章2節「さあ大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ」。主の言葉が再びヨナに臨んだ」という言葉に旅の振り出しに戻ったような気持ちにさせられます。けれども、ヨナの再出発は始めと全く同じではありません。1章では神の言葉に応答もせず、御前から逃亡する事によってヨナ書は始まりました。けれども、今度こそヨナは主なる神のお言葉どおり従順に従いました。迷いが感じられません。1章冒頭で神さまから逃げてしまった人物とは別人の様です。1章に「主から逃れようとして」という言葉が2回繰り返されている事から、ヨナの意志の強さを読み取る事ができます。何がなんでも、神さまに抵抗しようというのです。けれども、この主から逃れるという行為は、神さまから与えられえた役割だけではなく、神さまとの関係を拒絶する事を意味します。ヨナは仕方なく従っているわけではなく、従わざるを得ない事を悟ったのです。けれどもそれは、自由を奪われて従っているわけではないのです。「これが自分の役割なのだ」と腑に落ちたのです。これまで迷走したけれども、歩むべき道、自分の向かうべき方向が、逃避行の中で示されたのです。見えなかった物が見えてきたのです。彼自身が進んで預言者としての役割を担いたいか否かではなく、その為に主なる神に呼ばれている事に気づいたのです。私たちは様々な計画、人生設計、理想や目標がそれぞれにあります。ヨナも神さまに呼ばれるまではそうだったかもしれません。けれども、聖書は「主の御旨のみが実現する」(箴言19:21)いいます。
 ヨナは最初と同じように主なる神からニネベを示されます。同じ様でありながらヨナにとっては新しい役割を担う為の新しい召しでした。主なる神は魚の腹の中から祈るヨナの祈りに耳を傾け彼を赦されました。そして神さまとの関係さえも断ち切るような猛烈な反抗を用いて、ヨナの心と体とをあるべき方角に方向転換されたのです。そして、ヨナは預言者として新たな旅立ちを迎えたのです。「わたしがお前に語る言葉」(3:2)と言われる言葉は、もとは宣言、宣告の意味です。対話したり、相手の反応を必要としたりする為の言葉ではありません。聞き手が受け入れるかどうかに拘わらず、一方的に滅びを宣言されるのです。ニネべは暴力と不道徳に満ちた街でしたが、王から裕福な者、貧しい者、家畜に至るまで断食し粗布を纏ったのです。彼らはヨナの巧みな説教を信じたのではなく、神の言葉を受け入れたのです。
 40という数は、大きな数のまとまりや一定の長い期間を指します。ここでは2つの意味で語られます。1つは、神の忍耐にも期限、限度があるという事です。悪の限りを尽くしていたニネベへ主なる神の怒りが下る事、それは40日後であるのです。2つ目に、主なる神は40日の猶予をお与えになった。猶予期間内に悔い改めれば主なる神が憐れみをお与えになるのです。このように神の言葉を受け取る時、イエスさまが宣教を始められた時の言葉「神の国が近づいた。悔い改めよ」を思い起こします。ヨナがニネベに遣わされたのは悔い改めへと促す為でした。神さまに背いた生き方を方向転換をして、神さまとの正しい関係に戻る事です。しかし、自分の罪を認める、自分を一旦否定する事でもあります。自分自身を自分の神としていた、傲慢な自分を、真の神に従って生きる事のできない自分を見つめて心が砕かれる瞬間です。けれども、悔い改めによって主なる神は私たちを救いにあずからせて下さるのです。誰ひとり滅びる事がないようにと望んでおられるのです。