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同胞のための冒険

説教要旨(2月16日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 9:1-5
牧師 藤盛勇紀

 直前の8章でパウロは歌い上げるように言います。「私は確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです!」
 ところが、この9章に入ると唐突に、「キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思う」と言う。驚くべき言葉です。神の愛に結ばれた恵みを高らかに宣言したと思ったら、一気に谷底へ。そんな、危険な姿がイメージされます。
 この危うい姿は、あの十字架につけられたイエスのお姿でもあったのではないでしょうか。十字架に血祭りに上げられた主は叫びました。「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。神の御子が人々から捨てられただけでなく、神からも見捨てられる、絶望の死を味わわれたのです。
 この方の死によって私たちは赦され、神の命が与えられました。パウロはこの方に結ばれ、この方が自分を確実に捕らえてくださっているからこそ、危険過ぎる言葉を発することができたのでしょう。
 パウロは「肉による同胞」イスラエルを思いつつ語ります。私たちも家族や友人や同胞を思い、その救いを願っています。しかし、神の愛から離れている世のただ中に入って、その救いを求めることは、危険を覚悟しなければなりません。イエス様は、「私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」と言われました。キリストに結ばれて神のものとされた者は、世に属する者ではなく、天に属する者であり、この地上に遣わされている者です。だからこの世の何かによって生きるのではなく、天のもの、神から与えられるものによって生きます。世の人々の価値観と衝突し、摩擦も避けられません。様々な危険に晒されます。現代のような平和な時代には、キリスト者がいつの間にか神から離れてしまい、世に埋もれてしまっても平気でいられる、そうした危機にも晒されています。
 神から離れている同胞のために祈り伝道する。それは、あえて危険を冒す《冒険》となることが避けられません。そして、その危険を冒す前提に、《この世のどんなものも、私をキリストの恵みと神の愛から引き離すことなどできない!》という確信と平安がなければなりません。
 それがないまま世に飛び込んで行くのは、愚かな命知らずの冒険です。墜落した惨めな姿を晒すことになります。バンジージャンプのように、思い切って飛び込むためには命綱が必要です。何があろうと私は絶対に離されない、という命綱につながれ捕らえられていることが必要なのです。
 パウロの冒険的な言葉は、その前提に、8章最後のあの「確信」があります。命綱キリストによって、パウロはしっかり捕らえられていて、この方はどんなことがあっても私を離すことはないと知っています。だから、大胆に危険な谷底に落ちて行ける。世の只中に飛び込んで行けるのです。
 パウロは8章の最後で、あの確信を語りました。このキリストに結ばれ、神に愛されているならば、私たちもパウロと共にギリギリの冒険に出て行けます。どんな所でも私を離さない神の愛と恵みを証しする伝道の冒険に、危険を冒して行くのです。
 伝道は喜びが基調ですが、背後には悲しみもあります。神と人とは断絶しているし、伝えようとする者との間にも断絶があるからです。それを超える可能性、その希望は、私たちの内にはありません。可能性はただ神にあります。「万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神」、この方の命綱につながれたなら、大胆に世に出て、地上に落ちて行きましょう。万物の上には、私たちの主がおられるのですから。
 

説教一覧(2019年度)

2019.4.7
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信仰によって現実を生きる
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2019.6.2
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第二のスタート
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2019.10.20
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2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
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肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
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2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
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神の主権と深い愛
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2020.2.16
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2020.2.23
血よりも濃く
2020.3.1
神の不思議な選び
2020.3.8
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神の怒りと憐み
2020.3.22
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