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主の弟子として

説教要旨(2月21日朝礼拝より)
ルカによる福音書 14:25-35
牧師 藤盛勇紀

 「十字架を背負う」とは、キリスト教と関係の無いところでも使われる言葉ですが、ここでイエス様は、「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも」と非常に厳しく言われます。すでに9章で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」と言われました。しかし、主の御心は人々をふるい落とすことではなく、救うことです。
 ここで「命」と訳されているのは「魂」という言葉。私たちの体や人格と深く結びき、知・情・意、思いや感情の座であり、愛情の湧くところでもあります。イエス様は、この命とも言える魂を捨てよとお命じになるのです。さらに「自分の持ち物を一切捨てなければ」とも。
 いったい誰にそれが可能なのでしょうか。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と主が言われた時の弟子たちのように、「それでは、だれが救われるのだろうか」と問いたくなります。しかしその時、主は「それは人間にはできることではないが、神は何でもできる」と言われました。
 もし、「人間(自分)の力で何ができるか」などと考えたら途方に暮れるだけです。しかし、ここに主の御心があり約束があるのですから、これは「自分にできるかどうか」と悩むべきことではなく、恵みとして受け取られるべきことでしょう。
 それにしても、なぜ私たちは自分の命とも言うべき魂を捨てなければならないのでしょうか。アダム以来、人は神の霊の息吹によって「生きる者(魂)」とされたのに、神を避けて霊なき魂となり、霊的に死んで「死ぬべき者」となりました。聖書に、「自然の人」とか「生まれながらの人」という言葉が出てきますが、それらも「魂の人」という言葉です。つまり、生まれながらの自然の人は、自分の魂(思いや感情や知性)だけで生きる。そして、そうした魂の人は「神の霊に属することを受け入れない」(1コリント2:14)というのです。
 2コリント5章にこうあります。「一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります」。キリストの十字架において、全ての人間が十字架につけられたのだと。それは何のためか。続けてこう言われます。「生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分のために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」。
 私たちはなお、魂に古い自分の生き方が刷り込まれたままなので、一種の分裂状態に悩むこともあります。しかし、すでにキリストが十字架についてくださって、私たちも十字架に死んだということは、神にある事実です。そして私たちはすでに新しくされている。これが真理なのです。
 だから、私たちにとって十字架が決定的なのです。すでにキリストと共に十字架につけられたので、私たちは日々古い自分に死んで、肉に引っ張られている自分の魂を日々死に渡して生きることができます。
 「自分の十字架を負う」とは、不本意な重荷を負うことなどではありません。自分の命を捨てることです。それは、自分の魂によって生きることをやめることです。魂自体が悪だというわけではありません。しかし、神の霊を拒絶したままの自然の魂はいつも自分自身の声や他人の言葉や思いに引っ張られて、人に支配され世に支配され、結局、神の国を知ることはありません。そして滅ぶだけです。
 そんな自分の魂に従って生きるのを止めて、命の主なる神の御言葉と御霊をいただいて生きる者(生ける魂)となるのです。
 

説教一覧(2015年度)

2015.4.5
おめでとう、主は生きておられる
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主がお求めになるもの
2015.4.19
主イエスとの旅
2015.4.26
自由を取り戻す
2015.5.3
人の力尽き、信仰が折れても
2015.5.10
父の約束を待ちなさい
2015.5.17
遣わされて生きる
2015.5.24
命を支える霊
2015.5.31
人に仕える主
2015.6.7
救いへの道
2015.6.14
キリストを知る道
2015.6.21
神様の愛
2015.6.28
この曲がった時代に
2015.7.5
主イエスを受け入れる者
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2015.8.9
和らぎある教会生活
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もう自問自答はいらない
2015.8.23
必要なものはただ一つ
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2015.9.6
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あなたのともし火
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主が備えてくださる
2015.9.27
器の中身
2015.10.4
キリストの仲間として
2015.10.11
ここにも天のはしごは届いている
2015.10.13
平和のレベル
2015.10.25
あなたの豊かさ
2015.11.1
神の国を受け継ぐ者
2015.11.8
愛は神から
2015.11.15
大切なあなた
2015.11.22
何に備えて生きるか
2015.11.29
火を投ずる主
2015.12.6
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あがめよ、わが魂
2015.12.20
はるばる来られた神
2015.12.27
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2016.1.3
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2016.1.10
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2016.1.31
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2016.2.7
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2016.2.21
主の弟子として
2016.2.28
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主イエスの沈黙
2016.3.20
光の子らの賢さ
2016.3.27
急いで行って告げなさい